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野口悠紀雄氏のメタバースへの指摘から考える

野口氏の「2040年の日本 (幻冬舎新書)」におけるメタバースへの言及を自分なりに意訳、脳内で仮想対談してみた話。

”メタバースは各自の可処分時間に限度があるから一部にしか広がらないだろうし、そもそも「アバターにされる」ことに人格が否定されたような拒否感がある人も多くいる。だから理想の姿になるアバター化、VRによる「仮想世界への没入」だけをメタバースの価値と捉えてはいけない”

うんうん。わかる。なので。スマホアプリから入れる手軽感、HMDの圧倒的な没入感を犠牲にしてもプラットフォーム選びで大事なんだよね。あと、アバター文化自体はVtuberブームと結びついて一定の盛り上がりはするだろうけれど。それがかえって入り口を狭くする危険性もあるので。過度にアバター化(美少女化他)にばかり注目すべきではないのもわかる。

”それよりテレプレゼンス、デジタルツインやブロックチェーンの技術に注目して、エンタメ(非日常)だけではなく、リアルワールド。日常の生活や働き方を変えていく潜在力に注目すべき”

そうなんだよね。なので、今の私はメタバースだからできる非現実的なエンタメや『逃げ場所』としての活用より、リアルワールドのそれぞれの「充実した日常生活」はベースに、どうメタバース発からバランスよく落とし込んで"両方の世界"をアップデートできるか。またその可能性を自分自身も含めて試行錯誤してて。2024年現在は「学び場としての有用性」へと辿り着いているのです。

”また学校教育の楽器やスポーツといった内容を教えるのにメタバースは最適かもしれない、ただ、学校教育には「集団生活を通じて人間関係を築く」といった面がある。それをメタバースで再現できるだろうか”

うん。でしょ!。でも”集団生活”は義務教育段階では確かに必要かもしれないけれど。うち『メタバース芸大REST』は大学なので。。というのは言い訳なのだろうか。性分的に集団生活に適正があまりないので。運営のどなたかにそうしたサポートをお願いすべきか・・とこれには共感しつつもモヤモヤします。

なーんて。

(まあ。読書してる人って、私に限らず、大体こんな感じで古今東西の方々と延々と脳内対談してるよね?)

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