昔話に学ぶ《さ》
『しごとをとりかえただんなさん』
というお話を知っているだろうか
ノルウェーのお話で
なんとも可愛いイラストの絵本
なのだが
女性や男性という性差や
働き方の多様性など
社会的な課題は色々あろうも
このお話を読めば
少しクスっと笑って
考えさせられるものがあるのではないか
と思うのだが、いかが?
内容は以下…
若い夫婦が
小さな家につつがなく暮らしていました。
だんなさんは畑仕事、
おかみさんは家事をこなしていました。
ある日、
畑から戻っただんなさんが
おかみさんに
「お前はずいぶん楽をしている。
俺はあくせく働いているのに」
とこぼします。
すると
おかみさんは陽気にこう答えました、
「それなら明日から仕事を取り替えましょう」
と。
次の日の朝、
おかみさんはレーキを担ぎ、
だんなさんはほうきを手に取り、
それぞれの仕事に分かれて行きました。
だんなさんは鼻歌まじりで
家の掃除を始めます。
そして夕飯にパンケーキを焼こうと
卵を集めに行きました。
けれども、
生みたての卵を両手に持って戻って来ると、
立てかけていたほうきにつまずき、
落とした卵は全て割れ、
おまけに鼻も潰します。
だんなさんは、
それならオートミールを作ろうと
ミルクと麦をボウルに入れてかき混ぜます。
が、すぐに暑くなったので、
冷えたリンゴ酒を求めて地下室に降り、
一口飲もうとしたところ、
上の階から大きな物音。
慌てて戻るとボウルが割れ、
ネコがミルクを舐めていました。
怒っただんなさんはネコを追い払い、
最初からもう一度、
オートミールを作り直します。
が、リンゴ酒入りの樽の
栓をし忘れていたことを思い出し、
地下室に戻ると案の上、
全て流れ落ちていました。
もはや絶望寸前のだんなさんが、
牛に朝のエサをやるのを
思い出したのは既に昼過ぎ。
牧場に連れて行っている時間はありません。
そこでひらめき、
小屋の屋根の上に芽吹いている雑草を
牛に食べさせることにします。
板切れで橋をかけ、
屋根の上に
ようやく牛を連れて上がっただんなさんは、
万一に備え、
煙突伝いで牛と自分とをロープでつなげて
家事を再開。
部屋を掃除し始めますが、
床に流れたオートミールで
ほうきはグチョグチョ。
そこへ
調理中のオートミール第二弾の鍋が
吹きこぼれたので
急いでかまどの火を消して
点け直そうとしたところ、
屋根の上から牛が落ち、
ロープで結ばれていただんなさんは
哀れにも吊り上げられて、
煙突の中にキッチリはまってしまいました!
帰宅したおかみさんが
だんなさんを見て笑い、
だんなさんが
「もう決して、お前の仕事より俺の仕事の方が
大変だなんて言いやしないよ!」
と言うのです。
そして翌朝、
それぞれは元の仕事に戻りました。
それからというもの
時々相手を手伝うようになりました、とさ。
おしまい…
なんともまぁ
失態に次ぐ失態
哀れ過ぎやしませんか
他人と比較して
自分の方が大変
相手は楽だと考えて
自分が辛い目に遭っている、
損をしていると悲観的被害者意識
大切な人でさえ妬ましく思え
傷つけてしまったり
いい結果に結びつかないのが
人間のエゴなのかなと思います。
ありますよね。
他人の芝生は青く見えること
他人が持っていたり備えていたりするものは、
自分のそれよりもよく見えてしまう
他人のよいところは目に入りやすい
一方で、
自分に目を向けると嫌なところが目立つ
本当は大した差がなくても
他人の物がよりよく見えてしまう
そもそも
本質的に見えてないことの方が多い。
別に家事のことだけではない。
もちろん家事も立派な仕事。
お金にならない作業と
呼ばれているけれど
誰かがしないといけない「仕事」
立派な仕事だ。
外でお金を稼ぐことばかり注目され
家の中の労働の意味と価値を
ないがしろにし続けてきた人々
山本五十六さんの言葉を送ります。
やってみて
言って聞かせて
させてみて
褒めてやらねば
人は動かじ
相手への配慮が欠けると
途端にコミュニケーションは破断する
仕事を教える時もそう。
引き継ぐ時にもそう。
配慮って大事。
別に家事だけではなくて
仕事って色々ある
見えている仕事だけが仕事ではない
工場のライン作業で黙々と頑張っている人もいる
スーパーもレジ打ちだけでなく、商品補充や
裏でお弁当作っている人、野菜切ってる人
商品注文している人、勤務調整している人
パソコンで株の取引きしている人
テレビの番組を企画する人、撮る人
雑誌の記事を書いている人、製本する人
販売する人、宣伝する人
色んな働き方があって
それぞれ大変さは違う。
その全部が楽ちんな訳ではなくて
それぞれにテクニックや配慮もあり
慣れたから、当たり前になったから
楽ちんそうに見えてるだけで
最初から楽なものなんてない。
そもそも
ヒトは比較しちゃうし
相手の方がよく見える。
でも、その傲慢さに気付いたら、
きちんと評価し認め
協力し合えれば
自ずと関係はよくなるはず。
この物語のミソは
”しごと”を”とりかえた”だんなさん
つまり家事も立派な仕事だと認めているのだ
大抵失敗する旦那さんは
家事をしてあげた旦那さんや
家でも働いた旦那さんになっているはず。
家事は誰かがする仕事だけど
誰がすると決まった仕事ではない
互いに協力すればいい
出来る人が出来ることをすればいい
得意なことを生かせばいいし
気が付いた人がすればいい
そして
一番忘れてはいけないのが
感謝の気持ち
外で働くことは
お金になるし
評価もされる
肩書になったり
役職になったりもする
家事は何もない
いや何もないわけでもないが
やっていて何もなく感じることは多い
何もないわけじゃない
そのおかげで生活は成り立っている
子どもたちはスクスクと成長し
病気であっても安心して家にいれる
食事だって素材そのままじゃなく
調理され温かく食べれる
手間をかけて貰っている
それは家事の成果ではではなかろうか
毎日見るものだから
微々たる変化には気付きにくい
いい変化は特に気付きにくい
そんな時に
いいことはいいこととして伝える
そして感謝を述べる
これがあることが
どんなに心が救われるか
言葉だけでは足りない
そんな言葉も聞こえてくるが
どんな仕事も楽な仕事はない
ココ大事。
どんな仕事も立派な仕事
どんな人でも素晴らしい
立派に生きてる。
それを他人がとやかく言う資格はない。
でもね。
アドバイスはできる。
その人を想えば想うほど
道から反れていたり、
そもそも道じゃなかったり
そんな時には併走できる
お話できる。
それが福祉。
その人をその人として
きちんと評価し認め
協力し
関係を築きながら
サポートしていく。
大事なのは
配慮、思いやり
コミュニケーション。
伝える気持ち
今日は一日中草むしり
綺麗さっぱり嬉しいね
子どもたちはそれを見ながら外で遊ぶ
外で遊ぶって
こんな遊び方もあるのね
もう何処であろうが好きなことする
これが物事を楽しむ思考か。
サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!