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昔話に学ぶ《わ》

手袋つながりで

てぶくろをかいに

ってお話あったね。

ごんぎつねも有名だけれど

てぶくろをかいに

あったかエピソードで素敵

僕は

てぶくろをかいにの方が好きかな。

内容は以下…


寒い冬の日。

小さな子ぎつねの手は、

冷たい雪で牡丹色になってしまいます。

優しいお母さんぎつねは、

子ぎつねの手を取り

毛糸の手袋を買ってやろうと思いつくのでした。

2人で

町へと出かけていった

お母さんと子ぎつね。

ところが、

お母さんぎつねは、

人間の怖さを思い出し、

足が進まなくなってしまうのです。

「にんげんは、おそろしいものなのよ」

お母さんは

子ぎつねにそう言い聞かせると、

小さな子ぎつねの手を

人間の子どもの手に変身させます。

帽子屋さんに行ったら、

「この手に合う手袋をちょうだい」

と人間の手を差し出すように

教えられた子ぎつね。

ひとりで町へ出かけた子ぎつねは、

目当ての帽子屋さんを見つけ

「こんばんは」

とその戸を開きます。

ところが、

お店の光があんまりにまばゆくて、

子ぎつねは

きつねの手を差し出してしまうのでした。

帽子屋さんのおじさんは、

キツネが手ぶくろを買いに来た

と気付きながらも、

何事もなかったかのように

小さな手ぶくろを売ってくれます。

帰り道、

温かそうに光る窓の向こうに、

人間の親子の声を聞く子ぎつね。

たちまちお母さんが恋しくなり、

お家への帰り道を急ぎます。

無事に戻ってきた子ぎつねに、

ほっと胸をなでおろすお母さんぎつね。

「ほんとうに、人間はいいものかしら」

そう、何度も自分に問いかける

お母さんぎつねのそばで、

大きな冒険を終えた子ぎつねは、

嬉しそうに手ぶくろを抱きしめるのでした。

おしまい…


はじめてのおつかい

思い出さなかった?

番組見てるくらいの感動よね

海外で

話題になってるらしいよ

はじめてのおつかい

場所や時代が変われば

見え方も変わるんだね

あ。話逸れた。

なんだか心がほっこりする内容

思い込みって怖いよね

無知こそ最強ということも見える

感覚の違いで考えや思想は変わってくる

親の知らない所で子は育つ

失敗も失敗と認識しなければ

なんてことはない。

人の成長は導きで得るものだけではなく

たまたま偶然ってのもいっぱいある

きっかけやチャンス

なんてものも

そこいらに転がっているのかもしれない

そのチャンスをものにするのか

それはチャレンジしたかどうか

で変わってくるし

チャレンジしなければ

0からは何も生まれない

成功しても失敗しても

学びにはなるじゃない

大事なのは動いたかどうか

そして成功失敗した時に

なぜ失敗したのか

なぜ成功したのか

振り返れるか

「○○は××」

個人が出す結果って

その人が経験したり見たりして

得たデータでしかない

場面や時間、環境によって

変わってくることもあるし

人が変われば変わることだってある

そんな固執で

何も進まないのはもったいない

机上の空論って言葉もあるけれど

実際には役に立たないであろう理論

現実を無視した理想論や観念論

都合よく想像して組み立てた

にすぎない計画や議論

要は考えるくらいは誰だってできる

妄想空想色々

発想は自由

実際動くのって

大変だし、しんどい

だけど

動かなきゃ

何もならない

いや。

何もならないのは違う。

老いる。

出来てたものも出来なくなる。

得るものも得られなくなる。

時間が経てば経つほど

足腰は重くなる

頭も重たくなる

容易に身体が動かなくなる

そう考えると

そもそも

大人と子どもは

思考も違う

想いが一緒ではなくて当たり前なんだ

先人たちの話は聞いて損なことはないけれど

そもそもデータの一つくらいとして

聞いておかないと

自身で動いて得た情報でもない情報で

判断する行動する

そんなリスキーな事案になりかねない。

やわらかい思考で

柔軟に判断して

臨機応変に動いたら

どうにかこうにかなるはず。

考えるな 感じろ

ブルースリーも言ってたじゃない

動かすのは頭じゃない身体

足と手

そしたらさ

なんか生まれる

なんか始まる

なにかが起こる

それから考えても

遅くはないかもしれないね。

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サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!