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ホントにみえてるのかどうか

結果、結論、成果

社会から求められた上での仕事、業務

依頼を受けたミッションであれば

決めるのは依頼主

ただね

障がい者支援に携わっていると

依頼主がズレて見られることがよくある

会社や地域、職員から

困ってる!どうにかして!

家族から

どうにもならん!勝手にして!

依頼主は果たして誰なのか。

利用者ではないのか。

誰が困ってるんだろう

誰が苦しんでるんだろう

誰が社会に地域に馴染めてないんだろう

答えは利用者

当の本人でしかない。

依頼主は利用者

常に基準は利用者

評価をするのも

判断するのも利用者でしかない。

ただね

この社会で生きていくためには

地域で暮らさせてもらうには

社会や地域に受け入れてもらわないといけない

ある程度のパッケージ

ルールや社会的通例は理解しないとはみ出る

分かった上ではみ出るかは自由

それは選択肢

人生の選びシロだと思う

知らないなら教えればいい

日々ストレスを抱えた方が

無断外出、飛び出し、所在不明

職員捜索、翻弄、疲弊

そもそもそれって

根本的解決にについての

対応が取れてたんだろうか

そもそもそれが言える関係性を築けていた?

ストレスの発散法を考えられてた?

妄想幻想幻聴のある方が

現実世界で奇行

周りの地域住民からの苦情

一体何が見えて何が聞こえて

その人はどう思ってるんだろう

社会的な見え方についても

どう感じているんだろう

地域からすれば社会からすれば

利用者へ指導する立場や

支援、監視する立場に

思われがちかもしれないが

僕らの顧客はあくまでも利用者

常に寄り添う姿勢は忘れてはいけない

問題行動に見えてる全ては

表現が誤ったヘルプの叫びかもしれない

問題が誰にとっての問題なのか

今一度深く深く考えてみるのも

対象の方を思えばこそ

理解が深まるのではなかろうか。

ヒトは生きてる

誰でも流れがある

歴史がある

経緯がある

動き出しが遅れると

事態は深刻化していくし

ことは大きくなる

習慣となれば

当たり前になれば

容易に変えるなくもなる

結果だけで判断するのは危険で

僅かな疑問も見過ごさず

一つ一つを紐解いていく

1人の判断や決めつけだけじゃなくて

常に複数で協議しながら

集団の共通認識のもと

彼ら彼女らの人生、暮らすを

自身の人生、暮らすを

考えられる

そんな支援が出来たらいいなと

思う今日この頃...

皆様はいかがお過ごしでしょうか。

これから何かが始まるようで

何も始まりません。

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我が息子の

何が始まるかと思ったら

何も始まらなかった写真を

載っけておきます、



サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!