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昔話に学ぶ《む》

さぁ

今日も由来話…

ふるやのもり

というお話は

ご存じかね?

内容は以下…


むかしむかし

ある農家に

お爺さんとお婆さん、

そして馬が一頭いた。

この馬を狙って

泥棒が忍び込み、

梁の上に隠れた。

同じ時に、

狼も馬を狙って家に入り込んだ。

お婆さんは

幼い子どもを寝かしつけようと

話をしている。

子どもが

泥棒より狼より怖いものは何?

と訪ねるので、

お婆さんは

ふるやのもり

だと答える。

ふるやのもりとは

古い家の雨漏りのことだが、

そのことを知らない

狼も泥棒もびっくりする。

やがて

雨が降ってきて、

天井から雨漏りしてきた。

お婆さんが

「ふるやのもりが来た」

というと、

泥棒は驚いて

梁から狼の上に落ちる。

狼はふるやのもりが

自分の上に落ちてきたと勘違い、

また

泥棒も狼をふるやのもりと勘違いする。

狼は山中を走り回り、

泥棒は木の枝を見つけて飛び移った。

ちょうど

その木に穴が開いていたので、

しばらくそこに隠れることにした。

ところが、

穴が深かったため

泥棒は穴の底に落ちてしまった。

一方狼は仲間の動物たちに

恐ろしい目に遭ったことを話すと、

そんなおそろしい奴が

この辺をうろつかれてはたまらんと、

泥棒が飛び移った木を確かめにやってきた。

木に開いた穴が怪しいので、

猿が長いしっぽを垂らすと、

中にいた泥棒は

木の蔓と間違えてよじ登ろうとした。

驚いた猿は、

捕まったら

ふるやのもりに食べられてしまう

と思い、

必死に踏ん張ったら、

しっぽが切れて、

前のめりに倒れ、

顔をすりむいてしまった。

その頃から

猿は尻尾が短く、赤ら顔だという。

おしまい…


OH お猿

今日はお猿の由来話

話の流れ的には

家の話とか

狼の話かと思ってたよ

実はこのお話

割と心理的な動きが

見えて実に面白い

ヒトは感情によって左右されることが

多々あるのだが

マイナス感情である時は

極端に行動に繋がりやすい

特に「恐怖」

知らないもの触れたことのないもの

に対しての拒否感や嫌悪感

想像しただけでただただ恐れが増長し

あとで考えれば分かるようなことでも

その場で安易に判断し「間違った行動」に

移ってしまうケースは多い

「ふるやのもり」

という謎ワードに関して

知らないもののとる行動は

恐怖を感じ、その恐怖から身を守るため

無意識ではあるものの「いのちを守る行動」

に移ったと思われる。

生き物としては真っ当な行動

防衛本能の一つかと思われる。

また、

心を守る上での防衛機制としては

至極真っ当に正常作用をしている。

この時に何がいけなかったのか

何に気を付ければ

次からの行動が変わるのか

「知らないもの」を「知らないまま」

曖昧な認識の状況で勝手な判断を

行ってしまったことが

今回の狼や泥棒の失態の原因かと思われる。

これってよくある

いじめとか暴力とかもどこか

これが原因になっている部分

ないだろうか

知らないものを知らないまま

知らないからいいことはないし

知らないからこそ勝手な判断で

行動に至る

知っているつもりになっている

ことによって歪んだ感情を抱え

自分勝手な行動に移す

「人の行動は脳が創ってる」

脳が判断し行動に移している

知らないこと

それによって

脳の判断がバグるということを

覚えておかなければいけない

勘違いだった

事案によっては

それだけでは

済まされないことだってある

他人を傷つけてしまったり

命を絶ってしまわせたり

要は勝手な判断

知らないじゃ済まされないこともある

この物語何が面白いのか

出てくるキャラクター

当の本人たちが何も知らないまま

慌てふためいている状況を俯瞰していること

に面白さの醍醐味がある

それって何故面白いのかは

物事が俯瞰で全体が見えている

こちらは知っている状況だから

面白いになっている

こちらも

「ふるやのもり」を知らないと

なんのこっちゃ分からない

お猿のお尻と顔が赤い理由も

結局意味分からん物語

になってしまったことだろうに

知らないことを知らないままにしない

全体を見て行動する

それらの行為に至る時

きっと一旦考える

という行動が

なされると思うが

きっとその些細な行動が

次からの行動に繋がり

結果を

大きく左右してしまうことを

頭の片隅に置いておいて

日々の生活を送ってみても

いいのではないかな。

物事に対して

あーだのこーだの

意見するのは誰だってできる

その事象に関して知らなくったって

自分の意見を述べたらいいんだから

何だって言える

でもね

その人の気持ちに寄り添ったり

一緒になって頑張ろうと思えば

その方を知らなければいけない

知ったつもり

分かったつもり

これによって

大きく方向が歪んでしまうこと

時として失敗することだってある

100%は絶対知れない

だってその人ではないんだもの

自分とその人は他人だもの

だけど

知ろうとすることは出来る

理解しようと歩み寄ることは出来る

そんな心の動きが

社会や地域の福祉の第一歩

なんじゃないかなと思ったよ

今日はここまで

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サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!