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昔話に学ぶ《c》

昔話に学ぶシリーズも

このnoteで14つ目

たくさんの途中下書きは

未だ取り残されてるけれど

子どもに読んでた『舌切りすずめ』

ん?って思ったことがあったので

深読みしてみた。

あらすじは以下…


あるところに

優しいお爺さんと

欲張りで意地悪なお婆さんがいた。

お爺さんが森の中へ行くと、

一羽のスズメが怪我をしていた。

さっそく家に連れて帰って手当をしてあげ、

おちょんという名前もつけて可愛がった。

しかし、お婆さんは

お爺さんがスズメを可愛がるのを

面白く思っていなかった。

おじいさんが出かけている時、

おちょんがお婆さんの作った

のりを食べてしまったので、

お婆さんは激怒して

おちょんの舌をハサミで切ってしまった。

帰ってきてそのことを聞いたお爺さんは、

逃げていったおちょんを探しに森に行った。

お爺さんがスズメのお宿を探し当てると、

おちょんがでてきて歓迎してくれた。

帰りにお土産として二つのつづらが出てきて、

どちらか好きな方を持っていくように

言われたお爺さんは、

小さい方のつづらを選んで帰っていった。

家に帰ってつづらを開けると

中からたくさんの宝物がでてきた。

しかし欲張りなお婆さんは、

お爺さんが小さい方のつづらを

選んだと知って激怒。

大きい方にはもっとたくさんの

宝物があったに違いないと言い、

スズメのお宿に行く。

そして帰りに大きなつづらを選んで帰る。

おちょんは家に着くまで

決して開けないようにと言うが、

家に着くまで待ちきれなかったお婆さんが

つづらを開けてしまうと、

中から魑魅魍魎妖怪変化が現れた。

びっくりしたお婆さんは

あわてて山道を逃げるように家に帰った。


欲を張ることはよくないよ

いいことしたら返ってくるよ

そんなことを伝えるお話は

いくらでもあるんだけれど

物語としては非情すぎる。

おぃおぃおじいさんよ。

結婚した相手が

欲張りで意地悪でよかったのか。

それでも愛した瞬間があったのか

そんなところに惹かれたのか分からないけど

今までのお話は

意地悪じいさん、優しいじいさんみたいな

世帯は別だったものが

まさか身内に欲張り、意地悪…

なんて酷な家庭環境…

いや待てよ。

人間というのは弱き生き物

いいところもあれば悪いところもある

そういう無常なものを

表わしているのかもしれない

とはいえ

舌を切ってしまうとは

なんというむごい仕打ち…

子どもたち泣いてしまうわ。

このお話には原作があって

鎌倉時代初期に成立『宇治拾遺物語』

それに収録された「腰折雀(こしおれすずめ)」

コレが原作とされているよう。

『宇治拾遺物語』

作者は不明で、

日本やインド、中国に伝わる多彩な話。

全部で197話もある物語集。

「腰折雀」では

腰の折れたスズメを看病したおばあさんが

ひょうたんの種をもらって

育てたら、中からお米がわんさか出てきた。

それを見ていた意地悪おばあさんが

わざとスズメをおびき寄せ、

石を投げつけてケガをさせ、

看病して放しました。

スズメが種を置いていったので、

育てるとひょうたんはできましたが、

米は出てこず

意地悪ばあさんが叩き割ると

中から毒虫が沸き出てきて

襲われ、殺されてしまう

なんてストーリーになっていたよう。

よくよく考えると、

オブラートに包まれているけれど

割と包みきれていない部分多いな。

そもそものストーリーには

おじいさんがスズメを山に探しに行った際、

さまざまな人にスズメの居場所を聞いて

道を教えてもらうことと引き換えに

牛や馬の血や尿を飲むことを強制されたり

大きいつづらをもらった欲張りばあさんが、

中から出てきた妖怪に食い殺されてしまう

そんな展開もあったよう。

あれ?ちょっと待てよ?

欲張りばあさんは、

家に帰る前に大きなつづらを開けたから

魑魅魍魎に襲われてしまったけど、

もしもおばあさんが途中で開けたりせずに

家に帰ってから開けたとしたら…

うちには優しいおじいさんもいる...

そのことは、スズメも知っているはず...

スズメはおじいさん諸共

危害が加わえるつもりだったのでしょうか。

あら嫌だ。あら怖い。

頭の中の市原悦子が

事件の予感を感じ取っている。

この話は

おばあさんが欲張り、意地悪で

マイナスイメージ強めの

印象悪めにされているけど

愛するおばあさんをほったらかして

スズメのおちょんにゾッコンで熱心だった

おじいさんにも

話を進めるためのキーポイントが握られてる

良くも悪くも夫婦は他人

血も繋がってない

家族ではあろうも

似て非なる存在

おちょんに没頭しているおじいさんに

振り向いてほしくって

愛情の裏返しで

非情な対応をしてたのかもしれない

それでも振り向かないおじいさん

おちょんを探しに行っちゃう

待ってるおばあさんは

まず、

のり食べられたことによるショック

自分のしたことにもショックだし

じいちゃんが出て行ったショック

色んなショックがあったと思う

帰ってきたら

やっぱりおちょんの話

つづらもらったんよ

おちょん喋ってたよ

おちょん元気そうだったよ

聞いてもないのにおちょんの話

この物語

最後はおじいさんとおばあさん

別々のエンディングを迎えているけど

もし夫婦間の愛情や想いやりが溢れてれば

共にストーリーも進めていたのでは?

いや。実際はこんなもんなんかな。

ヒトの弱さ

元は他人の夫婦仲の取り持ち方の難しさ

そんなことを教えてくれているのかもしれない


「しあわせ」や「ゆたかさ」を探求し、

最低限の幸福と社会的援助を提供する

それぞれの自己肯定感を満たし、

存在や居場所を与え

目的に向かって助け合う。

福祉ってね

ヒトがヒトのために設定したものだし

全員が対象なはずなんだけど

捉え方次第では全然受け取り方が変わってくる

そもそも「しあわせ」や「ゆたかさ」の概念

これはヒトによって全然違う

何が幸せか。

何がどう満たされれば豊かなのか。

夫婦でも親子でも違う。

まずは相手に向き合い

相手のことを思いやる

それが福祉のスタート

自分も他人もヒト

でも他人は他人、自分は自分

これを念頭に置いておかないと

僕はこうだと思う

普通はこうあるべき

その考えで他人を傷つけちゃったり

全く意図していない弊害が生まれること

もあるかもしれない

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まったくもぅ...

最近の長男坊の口癖です

ヒトは難しい

ヒトは奥深い


サポートがなんなのかすら理解できていませんが、少しでも誰かのためになる記事を綴り続けられるよう、今後ともコツコツと頑張ります!