形容し難いモラトリアム
6/26を境目に、少しずつ音楽活動が再開している。
本日は西永福JAMでの弾き語りだった。この世の中にはいい音楽が沢山ある。
伝える側の伝える力と、リスナーの聴く力がそれぞれ最大になればいいのに、と何度も思う。でもそうならない不器用な肌触りこそライブの魅力だ。
一人でライブハウスに立つということは、どうもむず痒い思いになる。
その自由さと不自由さの狭間に立って、次やりたいことを射程に入れようと努力をしている。生きることは、自由さに憧れる不自由を生きることだけじゃない。
形容し難いモラトリアムに佇むことも、生きることの一種だ。
明るい夜に出かけて第二回?
音源の収録?
弾き語り?
次の一手が何になるかは、乞うご期待。
でも一人になったことで逆に、尖りに尖っていた僕の棘が、少し丸くなっている感覚がある。というよりむしろ、それが素の自分だ。
そうしたら少しずつ、色々な人と話したり、素直に良いと思える気持ちが芽生えてきた。フロントマンとしての自分は、過度に演じていた。その気持ち悪さにいつからか耐えられなくなっていたのも確かだ。
これからは、ここぞで尖れる人間でありたい、そう思う。
最近やり始めた新曲で、「シングル・ユース」という曲がある。
「シングル・ユース それでも まだ僕は
どうしようもないほど求めてしまう 生きていたい」
僕は、どうしようもないほど求めてしまう人間なのだと思う。
ギリギリまで踏ん張って、希望の音楽を多くの人に伝えたい。
その想いだけは、ずっと心の中に持っている。
この曲を音源にしなければ、死ぬに死ねないのだ。
学生時代の青い僕の、全てがこの曲に詰まっていると言ってもいい。
そんな曲だと言い切れるのは、初めての感覚かもしれない。
逆にいつになったら、すっぱり諦めがつくのだろうか。
一寸先の未来が暗闇か光かもわからないこの今を、僕は案外楽しんでいる。
近いうちに、僕がどういう形態で活動するか、皆様のお耳に入れることになると思います。
この文章が気に入っていただければ、ぜひ。 創作活動(執筆・音楽)のために、使わせていただき、それをまたみなさまにお披露目できればと思っています。