アニメの「間」

※この話は独断と偏見、それから個人の解釈によるものです。ツイートの延長のようなものです。

 近年、サブスクなどにより昔のアニメも見れるようになった。私はまだ19でアニメをまともに見始めたのも中学生とかそのあたりからで、正直それほど深くアニメオタクをしていない。それで、最近アマプラで気になっていたアニメを見るようになった。そこで気になったことがあった。昔のアニメと今のアニメでは会話やシーンにおける「間」に違いがあるのだ。最近のアニメに慣れた私からすると昔のアニメで度々挟まる絵も動かず、声もない、止まった瞬間に「ん?」となってしまうのだ。昔からアニメを見ている人にはあまり違和感ないのかもしれないが、私はあった。
 初めてこの間について意識したのは「SSSS.GRIDMAN」だった。そこそこ最近のアニメだが、これを見ていて間が気になったのだ。会話が止まり、蝉の声だけが響くシーンとか、そういう静寂のシーンが慣れていなかった私にとってなにかのミスかなにかかと思った。それから他のアニメを見る時にもその「間」を気にするようになった。最近の作品だと「のんのんびより」も結構間を使ったシーンがあった。最近は別に矢継ぎ早というわけではないが、あまり意図的な間がなく、どちらかというと展開が早く、スムーズに進んでいるように感じる。理由は色々あると思う。例えば、昔は2クール以上が割と普通で物語を余裕を持って進めることができたが、逆に現代は基本的に1クールで物語を終わらせなければいけないとか。色々あると思う。
 それで、この「間」に一体どんな意味があるのだろうかと考えたときに、元々当たり前にあった表現だったはずだと思った。実際、実写映画でもアニメ映画でもドラマでも小説でも漫画でも「間」は大事な要素だし、よくある表現だ。つまり近年のアニメ作品に「間」がないわけではないのだと思う。短くなったのだろう。それには前述したような諸事情などがあるのだろうが、「間延び」が気になるという人が増えたのではないだろうか。つまり社会全体として人々が効率化を望んだのではないかという考えだ。「間を作るくらいなら物語を進めたほうが良い」とかそういうのだ。人々がせっかちになったとでも言うべきか。懐古主義というわけではないが、昔のアニメのようにもう少し、のんびりしてもいいのではないかと、そう思ったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?