◎誤報の教訓に学ぶ(小川和久)

10月21日配信の毎日新聞政治プレミアで、誠に恥ずかしい誤報をしてしまった。毎日新聞側と協議のうえ、次のように訂正し、記事を削除したのだが、謝罪を含めて後始末としてはまだまだ足りない点がある。何を言っても言い訳にしか聞こえないかも知れないが、今後、私自身が同じような過ちを繰り返さないため、そして、読者になにがしかの参考にしてもらうため、「顛末書」とも言うべき角度から誤報に到った経過を述べておきたい。

「臨機応変ができない在ウクライナ日本大使館の不手際」と見出しのついた毎日新聞政治プレミアの記事に関する訂正・謝罪と記事削除の告知は以下の通り。

<この7月、私のもとに外国の専門家から重要な情報がもたらされた。それは、ポーランドに退避中の日本大使館員とウクライナの公的機関の間で交わされたメールの現物だった。国際政治と安全保障を専門としている手前、各国の秘密扱いの情報が飛び込んでくることもたまにはあるが、今回ばかりは外務省が隠し通したいスキャンダラスな情報、それも日本外交のレベルの低さを世界にさらすという意味では国家機密にあたる情報で、さしもの私もがくぜんとさせられた。

日本大使館側のメールの主は3等書記官で、ウクライナ側とのやり取りの中で、先方の一人が簡単なロシア語で返信したのに対して、英語でメールしてほしいと求めたあと、なんと「日本大使館にはウクライナ語がわかる人間が一人もいない」と返信したのである。

ポーランドに退避中とはいえ、在ウクライナ大使館である。ウクライナ語がわかる人間が一人もいなかったとすれば、きわめて深刻な問題だ。しかも、ウクライナ国民の多くに通用するロシア語で記したメールをウクライナ語だと思い、英語で返信してほしいと求めるに至っては、ロシア語ができる人間も大使館内には限られているのではないかと思える。>

との内容がありました。しかし、筆者の入手したメールは「日本大使館の全員がウクライナ語ができるわけではない」とすべきもので、「ウクライナ語ができる人間が一人もいない」という表現は間違いでした。お詫びし、正確を期すため、筆者の申し出により記事を削除します。

この記事削除の前後、ネット上では私の英語力に非難が集中し、「中学生なみ」とまで嘲られる結果となった。

本稿ではまず、軍事専門家として私を信頼してくれている各方面の関係者と著作や記事の読者、映像の視聴者に、英語力の不足が私の調査・分析などに影響を及ぼしていないことをお伝えする責任がある。

今回の一件で明らかになったのは、私の英語力は同志社大学神学部入学時がピークで、その後は英語を使う仕事でないこともあり、中学生レベルかどうかはともかく、低下しているのは間違いないということだ。

それでも国際政治と安全保障に関する仕事が成り立ってきたのは、私が手がけてきた研究が外国の文献に依拠する割合は低く、外国の資料を使う場合もデータが主体で、さほどの語学力は必要としなかったこと、そして必要な場合は一流の語学専門家の助けを借りてきたからである。外国特派員協会での私の講演が米国のC-SPAN(米国議会を中心に政治を専門に流すケーブルチャンネル)で繰り返し放送されたのも、米国政府との交渉の場に臨むことができたのも、日本屈指の通訳者など友人たちの協力の賜物である。

また、「軍事アナリストとして評価に値する仕事をすれば先方から通訳を連れてやって来る」という開き直りも、私が語学の習得にエネルギーをとられず、軍事問題に集中することを可能にした面がある。過去35年以上にわたり、米国、英国、中国、台湾、韓国、ソ連の外交官や駐在武官から意見を求められてきたし、その多くとの関わりが現在も続いているのも、そして接触を通じて先方の知識や情報のレベルを知ることができているのも、そのおかげである。

そんな自分の語学力を自覚すればこそ、必要に応じて翻訳ソフトを使い、場合によっては友人の力を借りて誤りを避けようとしてきたのだが、今回ばかりは踏み外してしまった。

それにしても、なぜこんな醜態を演じることになったのか。数々の指弾を真摯に受け止め、誤りを認めたうえで、冷静に経過を振り返ってみることにしたい。

私が在ウクライナ日本大使館の業務に言及することになったのは、7月に米国から飛び込んできた1通のメールがきっかけだった。

発信者は米国の著名な研究者K氏。旧知のK氏はかねて協力してきたウクライナの公文書館の古文書保存が、ウクライナ侵攻後のロシア産用紙の供給停止により危機に瀕していると訴え、世界中の用紙を調査した結果、日本の「阿波和紙」が最適だとの結論に到ったので、日本からの供給の道を探ってもらえないかと記していた。

兵器などの支援ができない日本にとって、日本らしい支援でウクライナの人びとに喜んでもらえるなら、これほどよいことはない。日本の国際的なイメージを向上させるばかりでなく、公文書館1個所あたりの費用は数十万円から百万円を超えるほどで負担も少ない。同じロシア製用紙を使ってきた周辺諸国にも阿波和紙の販路が拓けるかも知れない。

私はただちに親しい某大臣に連絡をとった。私の要請は某大臣から岸田文雄首相と林芳正外相へ伝えられ、林外相は即刻、外務省の事務方に指示した。これを受けて外務省からポーランドに退避中の在ウクライナ日本大使館に用件が伝えられ、ウクライナ側との接触が始まった。ここまでの迅速さは、日本の官僚機構としては珍しいほどだった。

日本大使館の担当者が英文メールでウクライナ側の要望を聞いたところまでは良かった。だが、問題はその直後に発生した。担当者は「日本大使館の全員がウクライナ語ができるわけではない」と発信し、しかも、ウクライナ側からの短いメールにも返信せず、やり取りはそのままになってしまったのだ。

私はメールを読んだ時、「そうだろうな」と思った。大使館の全員が少数言語のウクライナ語を使えなくてもおかしくない。しかし、扱われているのは岸田首相と林外相が関わった案件、つまり官邸マターであり、大臣マターである。ウクライナ語でのやり取りが必要であれば、その能力を持った大使館員や通訳を探してきてただちに対処するのが大使館としては普通だ。だが、その動きはなかった。

そして、どんなやり取りが日本大使館側と外務省本省の間で行われたのかは不明だが、外相秘書官から某大臣のもとに、「ODA(政府開発援助)にはそぐわない案件なので対応できない」との回答があった。日本がウクライナ支援で恰好の旗を立てることができる案件ではないか。だからこそ、首相以下3人の大臣が腰を上げたのではなかったか。しかも、せいぜい百万円そこそこの案件である。金額も巨額で、決定までに長い時間を要するODAで扱おうというのも解せない話だ。

こんなうやむやな話にしてしまったのは、外務省本省ではなく日本大使館の側に違いない。私の中で「日本大使館の全員がウクライナ語ができるわけではない」というメールの文面が、「ほとんどいないのではないか」という疑念に変わっていった。ウクライナ語やロシア語を使う人間がいないからこそ、G7(主要7カ国)のうち6カ国の大使館が5月に退避先から首都キーウに戻って再開しているというのに、日本だけが2カ月経った7月になっても建物探しすらできずにいるのだ…。

日本大使館への不信感に火がつくことになったのは、10月5日にキーウの日本大使館が再開されることになったという報道がきっかけだった。G7の6カ国より遅れること5カ月。その間、主要な大使館業務である在外邦人の保護なども手薄になったことになる。ウクライナ語やロシア語を使える大使館員がいれば、あるいは外部の人間を雇えば、こんなに遅れることはなかったはずだ。どんな理由で再開が遅れたのか、検証に耐えられるほどの釈明をできるのか…。

といっても、外務省や日本大使館に厳しい目を注いでいる私は、実は外務省増強論者である。規模、予算とも倍増すべきだと主張してきた。内部に友人や知人もいるし、優れた外交官も知っている。しかし、その一方で国益を忘れ、国民を無視したような外務省の実態も見てきた。だから期待を抱く一方、不信感にも根深いものがある。

実例を挙げ出すと1冊の本が書けるほどだが、例えば、2005年3月のスペインでのテロ対策の国際会議が開かれることを現地の日本大使館は知らなかった。私は自費でパリから参加していた駐仏公使(この人は立派な外交官の一人)に指摘し、慌てて駐スペイン日本大使が顔を出すことになったのだが、国連事務総長がメインスピーチをするような会議で、会場周辺のビルの屋上にはスナイパー(狙撃手)が配置されているようなビッグイベントである。現地大使館が知らなかったというのは職務怠慢以外にない。

私が首相官邸側から関わったイラク復興支援では、トップの竹内行夫事務次官に現地から送られてくるメールには、自衛隊側の日報と照らし合わせればその場で露見するような虚偽が連ねられていた。

外務省だけの問題ではないが、2011年2月のアラブの春のときも、10日ほどの間に中国はリビアから4万2600人、韓国も1400人の自国民を総力を挙げて国外に脱出させたというのに、日本は23人の在留邦人のうち避難を望む7人の民間人を脱出させられなかった。そして3機の自衛隊機を派遣して1人しか避難させられなかった昨年のアフガニスタン、2機の政府専用機を出して20人の避難民しか集められなかった今年のウクライナの失態が繰り返され、しかも日本大使館員はさっさと退避していたとくれば、私の堪忍袋の緒は限界に達しつつあった。

そうした失態の数々が走馬灯のようによぎる中で、私の中で「ウクライナ語ができる人間は一人もいないのを隠している」という思いが強まり、その結果、そのように思い込み、決めつける記事を書くに到ってしまった。嘘をつかれるにしても、外務省と日本大使館に説明を求めるべきだったが、ものの弾みというものは恐ろしい。その基本を逸脱した記事を書いてしまった。重要な指摘をいただいたウクライナ在住の平野高志さん(ウクルインフォルム編集者)にも、「大使館側からこんなメールが送信されていた」と伝えようとして、いかにも英語力に欠ける印象の舌足らずの書き方になってしまった。

強い思いを抱いているときこそ、通常より冷静さを強く保つようにしなければならない。怒りは「醒めた怒り」でなければならない。これも、自分自身の英語力の低下を自覚することと並んで、最大の教訓かも知れない。

その後、阿波和紙の一件は私が旧知の徳島県の前副知事にお願いし、飯泉嘉門知事の肝いりできわめてスムーズに進み、ウクライナ側との直接的な協議によって無償提供されることになり、11月4日に飯泉知事による記者発表が行われた。キーウの日本大使館側からも担当者が関わることになったことは付記しておきたい。(2022年11月4日記)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?