日本が核抑止力を備える条件(小川和久)


認めたくないことだが、核兵器の使用も辞さないとするプーチン・ロシア大統領の恫喝を前に、ウクライナ情勢へのNATO(北大西洋条約機構)側の姿勢も慎重さを強いられている。それに加えて、金与正・朝鮮労働党副部長の「韓国の先制攻撃に対しては核兵器で反撃する」との発言は、核抑止力に関する日本の議論を加速させるきっかけとなる気配だ。

といっても、これまで叫ばれてきた日本の核武装論は、戦略的視点、軍事的合理性、実現可能性を無視した机上の空論に終始してきた。

特に大前提となる戦略的視点について、日本の安全保障上の選択肢が、①日米同盟の徹底活用、②武装中立、のいずれかしかないこと、そして、日本の軍事力(自衛隊)が同じ敗戦国のドイツとともに自立できない構造に規制されている現状、を視野に入れていない。

そのような日本が本格的に核武装するには、日本の軍事的自立を否定している米国との同盟関係を解消し、武装中立の道を歩む必要がある。

武装中立の道に踏み出し、現在と同レベルの安全を独力で実現することを目指すには、防衛費は防衛大学校の武田康裕、武藤功両教授が著書『コストを試算 日米同盟解体』(毎日新聞社)で提示している年間23兆円~25兆円になることは覚悟しなければならない。

著しくバランスを欠いている自衛隊の戦力構造も抜本的に変えなければならない。現状は、海上自衛隊の対潜水艦戦(ASW)能力と航空自衛隊の防空能力が世界有数のレベルに突出している一方、その部分に多額の支出を要する結果、残る軍事的能力は平均的な水準にあればまだしも、最初から備えることを諦めているものも少なくない。

これは日米安保体制の中で、海上自衛隊はASWとシーレーン防衛、航空自衛隊は米国の戦略的根拠地である日本列島の防空、陸上自衛隊は84カ所の米軍基地を置く日本の国土を守るという役割分担を引き受けた結果である。これを質量ともバランスのとれた軍事力に改め、通常戦力で核兵器を守る形にしなければ、核抑止力を機能させることはできない。

また、日米同盟を解消した瞬間に米国の核抑止力が失われ、日本は危険にさらされることになる。ただちに軍事攻撃が行われることはなくとも、日本列島の地政学的な重要性から、ロシア、中国の干渉は避けがたいものになるだろう。そうなると、場合によっては米国がロシア、中国を排除し、再び日本列島を軍事占領してでも戦略的根拠地を確保しようとする可能性すら出てくる。武装中立に踏み出した段階では、日本には大国の干渉を退ける外交的・軍事的能力は備わっていない。

日本の核開発能力にも高いハードルがある。技術先進国の日本なら、3年もあれば核兵器保有は可能との研究もあるようだが、これは核開発のノウハウを持たない日本の研究開発の実情を知らず、外国の干渉や妨害、予算などの制約を無視した机上の議論である。米国、中国、ロシアが日本列島の争奪を企てる国際環境のもとで、秘密裏かつ迅速に核開発を推進できると考える方がどうかしている。

核武装は国民生活にも影響を与える。核武装に踏み切れば、日本は日米原子力協定を破棄せざるをえず、ウランを輸入できなくなる。供給済みウランは返却することが義務づけられている。プルトニウムを使ってプルサーマル発電用のMOX燃料を作ることもままならない。いずれは太陽光や風力で発電量の過半をまかなうにせよ、核燃料の国内備蓄が3年分ほどしかない日本は、その過程で原子力発電を断念せざるを得ず、リニア新幹線などへの打撃は避けられない。

NATOの5カ国(ベルギー、ドイツ、イタリア、オランダ、トルコ)が米国の核兵器の国内展開を米軍の監督下で認められてきた「ニュークリア・シェアリング」についても、整理すべき課題を残している。賛成論者は「日本が核報復能力を持つことで敵国の先制核攻撃を防ぐことができる」と主張するが、これは核抑止に関する一般論に過ぎない。

ニュークリア・シェアリングは、もともとヨーロッパの大平原を侵攻してくるワルシャワ条約機構軍の地上部隊や航空機の大群を撃破するための小型の戦術核兵器(核爆弾、核弾頭型地対地ミサイル、地対空ミサイル)に関するものだ。目的はワルシャワ条約機構軍の阻止に限られており、ソ連に対する戦略的な報復核戦力は米国が担ってきたことを忘れてはならない。

理屈だけを言えば、北朝鮮、中国、ロシアと海を隔てて対峙する日本が保有を検討すべきは、米国が既に廃棄した準中距離弾道ミサイル・パーシングⅡ(射程1770キロ、5~50キロトン核弾頭)や核弾頭型トマホーク巡航ミサイル(同2500キロ、200キロトン核弾頭)のような準戦略核兵器のレベルである。この場合、核巡航ミサイルは北朝鮮領海から遠くない海中を遊弋する潜水艦からの発射となる。しかし、いずれも日本の軍事的自立を前提とする話で、日米同盟を選択する限り、米国が保有を認めることはあり得ない。

以上を見れば、日本の核武装論の実態はリアリズムとは対極にある妄想のようなものと言わざるを得ない。

そのような日本が日米同盟による核抑止力を向上させようとする場合、「作らず、持たず、持ち込ませず」という非核三原則のうち「持ち込ませず」を撤廃し,米国の核戦力を必要に応じて日本国内に展開する道、すなわち「非核二原則」をとるのが現実的だろう。

近年、「自分の国は自分で守る」との声が高まり、呼応するかのように核武装論が浮上した印象があるが、リアリズムに基づくステップを踏まなければ、いかに気勢を上げたところで、虚勢を張る域を出るものではない。これは、とりもなおさず諸外国に対して日本の安全保障面のレベルの低さをさらすことでもある。日米同盟の徹底活用というステップを踏んでこそ、「自分の国を自分で守れる日本」が見えてくることを忘れてはなるまい。





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