見出し画像

引き出しに問う

※2023年12月に残っていた下書きです。


「今年ももうすぐで終わる」と思うわりに口に出したくない気持ちで生きている。
みんなが口に出すので私は別に言わなくてもいいんじゃないかという気になっているのかもしれない。

そもそも生物は生まれ落ちた時点でずっと終わりに向かって生きているので、一年毎にカウントダウンすることに対しての反骨精神というか「やんのか?」というある種喧嘩腰のようなものがあるのかもしれない。私の中の秘めたるヤンキー。
生きるということはつくづく地獄みたいだなと思っていた時期がある。
前提として生きているだけで罪、母の腹を痛めて生まれてきた罪、命を奪って自分の命を繋ぐ罪、罪、罪罪罪。罠。
望んで生まれてきたわけでもないのに既にいくつも罪があるんだよ、罠すぎるだろ。そのために税金納めるのか?

二年前の10月から使っていた日記帳は、つい先日最後のページとなった。
この一年分の日記を読んでみた。なんかずっと泣いててウケた。
謎の口腔顔面痛で泣いてた。応募する小説の締め切りと被ってて病院で泣きながら原稿をやっていた。あと顔にでかい出来物ができて死にたがっていた。そんなことある?
通っているジムで変な人に待ち伏せされて追いかけられてキモすぎて泣いていた。キモすぎると人は泣くのだと初めて知ったと書いてあった。
歯列矯正での抜歯、ブラケット装着でも泣いていた。痛みもだけど、歯が痛すぎて数日ほどまともに食事がとれず、やっとチャルメラを食べることができたときおいしすぎて泣いていた。
書いたものが入選して嬉しくてちょっとだけ泣いていた。
こうして涙ながらの日記を読み返していると。罪を増やしながら罰を受け、合間に少し息継ぎができる希望を頼りに地獄を駆け抜けた一年だったように感じる。

私は記憶力がかなり良い方らしい。
勉強に関してはそのほとんどが発揮されないけれど、人の顔や吸っている煙草、飼っているペットの名前、どんな声で話していたかをよく覚えている。
周囲に驚かれて初めて自分が無駄に記憶力がいいということを知ったが、それでも日記を読み返していると自分の書いた文字の生々しさに面食らうことばかりだ。
つい数ヶ月前の出来事の輪郭しか覚えていない。日記を読んで思い出すことはあれど、やはりその瞬間は心の動きや空気感はすっかり忘れているものなのだ。私の記憶力は実はそこまで良くないのだと思い知らされてなんだか安心する。
あまりにもいろんなことを忘れられないのはしんどいから、ちゃんと忘却できていることにほっとする。

記憶といえば、人は人を忘れる順番というものがあるというのを聞いたことがある。
最初が聴覚、つまり声で、次いで視覚・触覚・味覚・嗅覚、の順番に忘れるといわれている。
私の場合は完全に逆だったので、初めてこれを聞いたときめちゃくちゃ嘘だと思った。

私は声を一番覚えているし、なんなら一生忘れることないんじゃない?って気がする。
音楽とかもあんまり忘れるものじゃないし。
でもどうだろう、それすらも本物の声を聞いたらちょっと違くてハッとするかも。死んでいる人間相手だともう確かめようもないけど。

逆に匂いが一番思い出せない。どれほど好きだった匂いでも、どんな匂いだったのかも、嗅いだらわかるのに引き出せる記憶のなかにはもうない。全然思い出せない。
大好きな友達の家の客用布団のフカフカの匂いとか、好きだった男の整髪料とシェービングフォームの朝の匂いとか、酔っ払って寝た公園のベンチの土のにおいとか、日当たりの良い友人の家で朝に飲んだコーヒーのにおいとか、そういうの全部、文字としては起こせるのにほとんど他人事になっていて、私の大好きだったはずの匂いは誰のものでもなくなっている。

この一年の間に嗅いだ匂いも、もうあまり覚えていないかもしれない。
お墓参りの匂いも、温泉のにおいも、銀座のカレー屋さんも、猫のうなじも、地下鉄も、夏の中華料理屋も、友達を抱きしめたときの香水も、借りたハンドクリームも、酔っ払って酸欠になりそうなくらい歌ったカラオケの部屋も、焼きたてのグラタンも、祖母の家のこたつの中も、炎天下の鰻屋も、どれも忘れてはいないけれど、もうなんとなくフワフワしている。


もうすぐやってくる新しい一年はどんな匂いだろうか。
良き香りであってほしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?