中川多理『白堊——廃廟苑於』ドキュメント③『鳥葬声宴』川野芽生短歌朗読会/『天景』について
天景をいかに告げまし帰り来し少女の手より十指生ひ来る
(ヒメコウテンシ)川野芽生『人形歌集 羽ならびに骨』より。
天景は、辞書にでていない言葉。たぶん、萩原朔太郎[月に吠える]の中の[天景]からきている。
天景
しづかにきしれ四輪馬車、
ほのかに海はあかるみて、
麦は遠きにながれたり、
しづかにきしれ四輪馬車。
光る魚鳥の天景を、
また窓青き建築を、
しづかにきしれ四輪馬車。
幾つかの解説を読むと、天景とは空中の幻影風景とある。その幻影風景の中にいる光る魚と鳥と読まれているようだが、空に鳥がいるのは不思議ではないが、魚がいるのは不思議。
何となく鳥と魚が同時にいるのに異和感を感じた。もし鳥と魚なら空でも海でもないところで成り立ちそう、イメージで納得しそう。
辞書を引くと、ぎょ‐ちょう ‥テウ【魚鳥】
① 魚と鳥。 魚類と鳥類。 ② 白亜(はくあ)紀に地球上にすんでいた鳥類の一つ。 ハトぐらいの大きさで、胸骨、上膊骨(じょうはくこつ)がひじょうに鋭く、飛ぶ力が強かったと想像される。
とあるので、②をとってみたい気もする。
中川多理人形展『白堊——廃廟苑於』の会場で川野芽生が短歌を読みながら自ら書いた半紙を飛ばした。
天景をいかに告げまし帰り来し少女の手より十指生ひ来る
も、半紙に書かれている。天景といかにの間に大きく空間を空けている。その空きはまさに[空]であり天である。その余白にいるのは、鳥。中川多理の鳥/人形。…かな…。
天景を…で、川野は一呼吸入れたのだろうか。…入れたような気がする。
その隙間に、中川多理の人形が鳥となって降りてくるのだ。
という、歌を読む妄想。
歌を読み取ることができないが、歌に添って心を遊ばせることはできるようになった。
ちょっと愉しい。