夜想茶遊戯——ウラメシヤ通信0

裏観音、裏浅草が好き。最近特にその思いが強い。
裏と呼ばれているところには美味しい店がある。アングラならではの人の関係があり、そして文化がある。江戸の、明治の浅草の残照があり、そして今が、活き活きとしている。

千束通りの奥から、ソンポーン(タイ料理)、コント(餃子)、紫苑(レバ丼)……そうそう最近は、[孤独のグルメ]で取り上げられたやよい(町中華)が人を集めている。カツカレー発祥の河金もある。[孤独のグルメ]ではイサーンが取り上げられ、しばらく入れなかった。イサーンは、浅草寺側から見たら手前のひさご通りの入り口近く、左入ルにある。
ひさご通りは、十二階と呼ばれた凌雲閣があったところ、通称塔下。800人もの娼婦たちが居た。千束通りが吉原、ひさご通りは塔下である。十二階の上から見る浅草を書く人と、塔の下の浅草を書く人と二手文士は分かれる。両方を跨いだ描いた上村一夫(大好き)も居る。石川啄木は塔下。ローマ字に日記に娼婦との凄じい件を書いている。それを妻に読まれたくないからローマ字にしたという逸話もあるが、ドナルドキーンを始めとして、評論家に評価が高い。(これに関してはまた後日)

イサーンのほんの斜め前の今は焼き肉屋になっているところが十二階の端っこ。居酒屋[漁火]のほうが中心に近い方。久しぶりのこのあたりの工事で、十二階の土台の一部が出てきた。そのことが新聞に書かれてちょっとした騒動。煉瓦をもらいに人が集まった。あ、と気づいた時は、遅く配布は終わって塀に囲われていた。しょんぼりして『イサーン』に入って社長(と、皆に呼ばれているオーナー)に『浅草十二階』の著者の細馬さんが、前回の発掘の時に煉瓦もらった話などをとつとつとしていたら、ぶつぶつ言っていたら、そんなに欲しいのか?と、言われ、うん、欲しい。囲われちゃってるからなもう、とれたらな、取っておいてやるよ。そして数日後。どん。いきなり机の上にぼろぼろの煉瓦が置かれた。え、嬉し!どうしたの?夜に脚立かけて囲いを越えてさ。えー、申訳ない。

もう一軒の裏浅草大好き店、フルーツパーラー・ゴトーもひさご通りにある。最近、ゴトーで紙ものを作りたいと通っている。口実に12ヶ月、全部のパフェを食べてみようという野望。ここの家族は浅草ネイティブ、ゴトーさんも手伝っている息子さんも浅草小学校の出身。ゴトーサンは浅草小学校のPTAもやったらしく、小学校の先生もゴトーの常連。はじめてあった小学校の先生に、あんた良く見かけるよね。そりゃそうだ。夜想を作っていた場所は、浅草小学校から江戸通りの方へ、二天門通りをちょっと行ったところ。ちなみに仁天門通りは魔物の走り場所、日光東照宮の仁天門につながっている。徳川家康は死んで江戸の魔物を封じ込めていたと。『帝都物語』のネタ噺をちょこっと。先生、喜んでくれた。


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