白茶で百茶 夜想茶悠戯


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和束百茶
和束カフェの向かいのガラスハウスに、100個の茶箱(缶びつ)が運び込まれた。厳密には101個。抹茶アートをやっている(それで知り合った)和束の吉田恵美さんの乙女ネットワークの力。ぞくぞくとおやじさんたちが茶箱を運んでくる。聞けば吉田恵美、農家に取りにも行っている。大変だ。
茶箱けっこう重い。で、指をかけるところが少ないので、持ち上げたりするの大変。さあてどう並べるか。和束茶源郷祭のメインだそうで、ちょっとにやりとしたりする。ちょこっと美術的に、あとは親しみやすく。茶箱はちょっと偉そう。持ち主の農家さんもちょっと誇らし気。

もともと
百茶は白茶から始った。僕たちが和束で[地蔵]と呼んでいる今西家の無農薬の畑で白茶を作り飲み比べたのが最初。[地蔵]の他[清水谷(しょったん)][古瀬]の三ヶ所で三人が三様摘んでみたらどんな感じになるのか…やってみた。同じように乾燥させて、それを三ヶ月後飲み比べたら、あら不思議、あら面白し、どれとして同じものはなかった。それが和束での白茶のはじまり。
もともと百という単位に惹かれていて、森村泰昌さんとMoriP100という100×100のアートをやっていた。百人の和束の農家さんに白茶を作ってもらって、それを一つずつ飲んでもらって茶源郷のお客さんに愉しんでもらったら……そしたらいいね……集めて百、戻して一。なんて話していたら。白茶を百集めたら棒が一本増えて百になると、今西の哲ちゃんが言った。お客さんが一を足すという感じ……白茶で百茶。プロジェクトがスタ-トした。百の個性が一つになって、また百に散る。個性を大切にしながら全体を一にするという苦手なことができるようになるかもしれない。あわせて農家さんから今まで使っていた茶箱を集めて展示する。百集まったら嬉しいな、暗いで始めた企画。


春秋山荘/夢見る茶畑――百茶

はじまりは
神奈川県・清川村に無農薬無施肥の茶畑を運営していた上原美奈子さん。美味しい無農薬の茶を作りながら、製茶体験などの活動をしていた。上原さんは、今は島根吉賀町の茶畑再生事業に係わっている。清川村の茶畑は何人ものサポーターが畑を守っている。僕もそのうちの1人。
上原さんはいろいろ面白いことを言い投げてくる。竹が余っていたら、竹で茶室よ。とか。放置茶畑からお茶を作る…というのも上原さんの示唆。
面白がって自分の目標にした。カカオハンターとか、プラネットハンターとか耳にする。茶も元々ハンターによって中国からインドに移植された。ティーハンターの気分で茶畑を探して、あるいは教えてもらって、無農薬で美味しい無農薬のお茶を作る。目標は100茶。お茶は場所によっても製茶する人によっても味が変わってくる。個性的なお茶を百種、作るか手に入れるかしたい。


百種百様
珈琲では今、スペシャリティコーヒーが全盛。その代表がゲイシャだが、それは原生種を保存育成したことからはじまった。味の流行にフィットした、いや、新しい味の流行をエスメラルダ農園が作り出したのかもしれない。珈琲は、農園単位、畝単位の個性を売りにしている。国中あるいは、地方全部の豆を集めて、ブラジルとかコロンビアとか言っているのは、大分昔のこと。個性を大事にすることから、製法も工夫が進み、例えばナチュラルやハニーなどの製法が出てきた。お茶でも同じことができるし、その方が美味しいと、思っている。そしてアートも。アートの話は又後日。



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