見出し画像

中川多理『白堊』について/展覧会が始まる前に思ったこと

 鳥越神社のすぐそば、九楊ビルのパラボリカビスに、厳重に梱包された人形たちが運び込まれた。最近、いろいろなことが気にかかっていた。最近じゃないかもしれない。ずっと思いつづけていたのかもしれない。行動するには、今なのかもしれない。
 ビスクになっての本格スタートなので、もちろん出来も気にかからない分けでもなかったが、いつも、何かを変化させてもそれでトップレベルに到達するので、そこはまったく気にしていなかった。

 運び込まれた日の夜遅く、ひとりで会場に入ったが、人形は梱包を解かれで、顔や手が一部みえていた。気にしていたのは、人形の名前のこと、人形にまつわる典型的なイメージのこと。

 人形はできあがって、この業界で云う[お迎え]になるまでの間、基本無名で過ごす。名を付けると、それが愛称であっても付けた人のところに居着いてしまう傾向がある。もう二十年以上も創作人形と付き合っていると、そんな不思議によく出合う。むしろ例外がないくらい人形につけた名前は、つけた人との関係を強く結ぶ。

 人もそうだ。親に付けられた名前は結構人を呪縛する。一昔前、子供は名をつけた親のものだった。(今でもあるか…名古屋で中川多理の人形展をやったとき、どなりこんできたPTAの会長は、娘の頭の中は20歳まで男親のものだとと、大声でぼくに宣言した)
 人は名を棄てられない。自我をもってからも親の名前のままに生きていく。自我をもたない人形は、なかなか名を振りきることができない。人形は作る人の意志よりも、それを所有する人の意志を多く反映される。それが[名前]をつけるということによって始まるのだ。

 創作人形は、作家の創作行為によって生まれた人形なので、本来作家の表現を第一とされる。ゴッホの『ひまわり』が、持ち主の意向によって名前が変わったり、あるいは「俺が買ったのだから墓にもっていく」というようなことにならないようになっている芸術作品でもある。なので中川多理は、自分で名前をつける。人形であり、創作人形であり、芸術であると思っているから。

 話は変わるが、何年か前にnoteに文章を書きはじめた、きっかけは、人形作家・中川多理にロマン・ガリの小説『天の根』の物語の粗筋を聞いたことにはじまっている。少しして『二十六人の男と一人の女』ゴーリキーを読んだ。テーマは違っているが、似たような現象が描かれていて、閉じこめられた男たちが、一人の少女を存在させる。
 そのことを少し研究したりする必要があるかもしれないが、自分にはさほどの興味をもたないし追求する気もない。(男が複数で思うと少女あるいは少女に準じる存在が生まれると云うのは、少し気持ちが悪いものでもあるし、今の、人形や、ロリと呼ばれるもの趨勢にも何か関係があるようにも思う。)たくさんの女子や少女や少女の人形が集まって、拘束地に居たときに、この逆の現象は起きるのだろうか?どうなんだろう…起きないような気もする。
 二十六人の男たちは、独りずつ個性が違っていたが名前をもっていない。

 さて、新しい価値観のビスクの人形が誕生するのだから、既製の文脈、云いかた、イメージで汚されるまで(たぶん拒否しつづけることは難しいことかもしれないSNSの時代だから…さらに)できるだけ名前をつけないで、過ごしてもらいたいという妄想をもっていた。おそらく中川多理は、名前をつけてくるだろうが、それを見ずに、白亜の人形を眺めて見たいと思っていた。できれば人形というイメージからも離れて…白の白亜たちの一人一人を、その眸と向き合ってみたいと思っていた。

 何かが自分の中で変わるかもしれない。
でもそれはすぐにわかることでもなく、対話はおそらく無意識を介して行われるだろう。いつか分かるのだろうか。いつか自分の意識のなかに形として顕れてくるのだろうか。それは生きている限りのお楽しみになるだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?