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心や身体の繊細さに寛容に触れられるとき、心と身体の健康を知る

心身の繊細さと寛容に交われることは、すなわち健康であることではないか、
と思った今日の午後。

午前中は大雨強風で桑畑の仕事はお休み。
暇って幸せだな〜と思いながら、自由に思考を巡らせる。
たまにタツのお喋り&ドタバタ攻撃に妨害されながらも、暇という幸せ時間を満喫。

午後からは、引き続き畑はお休みなので、お気に入りのさつま芋を買いに少しお出かけ。ストーブの上で焼く芋は何でこんなに美味しいのだ…
ストーブ時期を愛することの一つは、焼き芋。さつまいもに限らず、里芋もじゃが芋も…塩とバターで最高に美味しい。里芋に関しては、蜂蜜オリーブオイルも素晴らしい。


そうこうしながら、思考を泳がせてたら、さつま芋売り場に辿り着いた頃にタイトルの言葉に行き着いた。

我ながら良い言葉だ!
と自賛して、カフェスペースでノートにもnoteにもメモ。


繊細さは、人の本質は好みながらも現代社会は嫌厭してきたと思う。
強さ頑丈さ、速さ、大量を社会は好む。
繊細さには目もくれない、用事はない、と言わんばかりか。

だけど、人の本質は、繊細さを愛する。それは普遍ではないのかと思う。
私の思う真の繊細さとは、揺るがない粘り強さみたいな物を腹に抱える…と思ったり。
月や星の光が美しいように、繊細な光であるように、人の根っこはこれを愛さずにいられないのだと思う。

抵抗というあらゆる固定観念を外し、あらゆる言い訳を手放して、素のままの自由な自分で内に宿る・或いは眠る繊細さに触れようとできることは、
真に心身が健康であることと同義語ではないのか、
と思ったのです。


ここのカフェスペースは、目の前に南アルプス連山がどーんと丸見えで清々しい眺めなのです。けど何となく、今朝のタロットカードの様子をトップ画像に。

南アルプスを眺めるカフェからの景色。
私の幸せ時間を邪魔して満足したタツ。眠りに入る…

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