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今の私と父の関わり。

父が盲腸で入院した。と母からメッセージがあった。
会いに来るよう暗に促してるのは分かっている。父は今、70才ちょっと手前。

「お金は稼ぐが、俺は子供の世話はしない。俺は、したくなくても、お前たちのためにお金を稼がないといけない」
これは小学生低学年か中学年の頃に、父が私と母に向かって言った言葉。今でもこれを吐き捨てている父の姿は暗い映像として頭に残ってる。



私は、父親をとっくに諦めている。苦しんでても悲しんでても、私は父という人間の心に寄り添うことはしない。いい娘ぶることも、しない。少なくとも今は、それをすれば、私が私自信を傷つける事になると分かっているから。
父親としても人としても寄り添ってもらった経験はなく、血のつながりとしては私はこの父の子供だが、私が自分の心を騙して心を闇に葬ってまでこの人に子供として接することは、少なくとも今はない。

お金が必要になったなら、送れるだけは送るから。そのくらいのお返しならできる。

冷たいと言われても、私はあなたの心をケアする前に私の心を守る。幼い頃は出来なかったけど、今はそれができるから。
今の私が父に伝えられるのは、このくらい私の心は強く大きく成長した、という事だ。


温かい言葉を交わしたり、心が触れ合うような家族が欲しかった。どんなに想像して妄想を膨らませることができたとしても、それが現実として実現し得るかどうかは、全く別の話だ。
独りでどんなに努力しても、独りじゃ実現し得ないことは、関わる人の努力や関わる人間間の相性やタイミングが、どうやったって不可欠なこと。
小さな判断や選択の積み重ねと、繊細な調整をし合うことを出来なくては、人の心が関わり続けることって難しいんだなとおもう。家族や親友、パートナーなんかというラベルに甘えて自身の心と頭を使って建設的な考えを持つことが出来なければ、本当の心の関わりは遠のいていく。

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