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向き合う、ということと今年の抱負

人に向き合うって、タスクをこなしていくこととは違う。
私はつい半日前まで、人に向き合うって約束を守ることかな??とか思っていた…

そんなことを考えていたきっかけはこんなことで、

いまだに未分化だった母への感情が、昨日今日ですごいスピードを持って分化されている。ドワっと湧き上がってきたような感じで。

ネガティブな感情を細かく分化させていくって、心が痛む。ただ単に「腹立たしくて嫌いな人だ」「私を傷つけ利用し続けた人だ」というまででも、身近な人へのその感情に気付くのは楽なことではない。
だけど表出したそのネガティブな感情に更に踏み入らないわけにはいかない、私の心の中に湧き上がってきたのに目をつぶるわけにはいかないのだと強く思う自分がいる。

どんなに痛かろうと、辛くて涙が溢れてきても、自分の感情に寄り添って、その感情が滑らかになるまで細かくして、そして受け止めていくことを私は選んでしまう。
大きく揺れ動き膨らむ感情、大きすぎるほどの感情。それを細かく見ていくなんて無意味だという人もいると思う、だけど私は大きすぎる塊としてざばっと受け流すことはもうできない。細かく細かく見て感じていく術を知ってしまったから。そうすることで、自分が自分をより深く理解してゆけることを知ってしまったから。
自分が自分を愛していく道って、私にとってこのやり方しかないんじゃないかと思う。



そうやって母への感情を起こして分化させながら、母に、子として人として真剣に向き合ってもらった経験がないな…と思った。30歳を過ぎても、向き合うってなに??よくわからない…と思っていた。幼少期に体験しておくべきものっていくつもあるだろうけど、そういう大切な経験を逃して成長したら、後々に経験するには大変な苦労が伴う。

でもこれは、母も同じように経験せずに人生を辿ってきていることを理解した。父も同じく。
向き合ってもらった経験がない母や父が、私たち子であれパートナーであれ他人に向き合うことができない事実は簡単に想像できてしまった

そんなことを考えてたら、
あぁ…私もか!!私も他人に真剣に向き合ったことがなかったぁぁぁ!!!

という衝撃の気付きに至った、
付き合ってきた数人の異性にも、身近な友人にも…ちゃんと向き合ってきていない!

そう思った瞬間に、車を運転しながら思わず叫んで、
ああぁぁぁーーーー…と項垂れてしまった。
母が私にしたのと同じことを、私は親しい人たちにしてしまっていた!!なんて酷い人間なんだろう…と。。


そして何とかハンドルを握りながら何とか気持ちを立て直して、他人に向き合うって何だろう?と考えて見ても、最初は、約束を守ることかな?という幼稚な答えしか出てこない。
そして、私が私に向き合うためにこの3年近く過ごしてきた時間を思い出して、向き合うってこんなことかな…という形に辿り着いた。
その後に更に気づいたのが、
今の私は、人に真剣に向き合うことをしてみたいと思ってる。ということ。

人に向き合うことを知らないで生きてきた私が、そう思えるようになったのは、精神分析の先生に出会って、先生に寄り添われて、自分の心の中を自分自身が細かく見ていく術を教えてもらったから、という時間を体験できたことが大きいのだと思う。
「自分の中に湧いてきた感情を、ちゃんと感じ取れるくらいの細かさになるまで細かくする、そして私がそれを感じ取る。ネガティヴもポジティブも、同じ感情として。」このことそれ自体が、私にとって自分を含めた"人に向き合う"ことでもあるのだろうと思った。


向き合うって、私が理想とする"人との親密で健全な関係"を築いていくには欠かせないものなんだと思う。35歳になる年のお正月に、人として初歩的な気付きの雷に打たれた気分の今日のドライブだった。

なので、これを今年の抱負にしたいと思う。

先ずは顔を日々合わせる、または一年に数回は必ず顔を合わせる人とより親しい健全な関係を積み上げていける人間になるために
「"人に向き合う"ということを身に付ける年にします」

とここで宣言します。
まずはざっくりした宣言内容だけど、この実行のために更に想いを巡らせながら…

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