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コソボのメッシ 〜エドン・ジェグロバ〜




2008年にコソボが独立宣言をして以来、最もエキサイティングな選手として注目されているのは、エドン・ジェグロバかもしれない。 その魅惑的な左足と凄まじいスピードは相手守備陣を震え上がらせてきた。


内気な少年だった彼は、自信に満ちた大人になった。今も昔も、素晴らしい才能に恵まれた彼は、「コソボのリオネル・メッシ」と呼ばれている。


北ドイツのヘルフォードでコソボ系アルバニア人の両親のもとに生まれた彼は、戦後、2歳の時にコソボへ戻ってきた。エドンはKFフラムターリのユースアカデミーに所属した後、すぐにコソボのプリシュティナへ移籍した。 


2015年、当時16歳の彼はコソボだけでなく、ヨーロッパでも頭角を現し始めた。アイントラハト・フランクフルトが関心を示し始めたが、勝者はベルギーのスタンダール・リエージュであった。

代表ではデビュー戦であるマダガスカル戦での1ゴールを含む3試合で2ゴールを決め、コソボの人々の心を掴んだ。

ベルギー代表でのプレーも可能だったが、彼は常にコソボのためだけにプレーしたいと思っていた。

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「代表チームは強く、より良いチームを選ぶのではなく、自分自身の心がどれだけ打たれたかが大事だ。私はコソボで育った。ここには私の家族、友人もいる。コソボでプレーするのはとても素晴らしいことだ」



12歳のジェグロバは、コソボで行われたACミランのジュニアキャンプで最優秀選手に選ばれた。何度も何度も相手を抜き、ゴールを決め、チームを勝たせた。これが彼にとって初めての大きな賞である。


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現在はベルギーで活躍しているが、ドイツ生まれだ。初めにも述べたように彼は、バルカン戦争のために両親が逃れてきたビーレフェルト近郊のヘルフォルトで生まれ、戦争が終わった2歳のときに家族とともに故郷であるコソボに戻った。

「私はドイツとは何の関係もない」

彼はドイツ語を話せないが、少しだけ勉強はしている。


プリシュティナの星

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コソボの首都プリシュティナで育った彼は、街中や練習場で技術を磨いてきた。サッカーは彼の人生であるため、最大限に楽しんだ。朝から晩まで、ボールは常に彼の足元にあった。

実際ミランは、ジュニアキャンプで優秀な成績を収めて以来、彼を注視してきた。しかし、イタリアクラブとの接点は無く、その代わりにFK FlamurtariからコソボのトップクラブであるFCプリシュティナへ移籍。常に素晴らしい成績を収め、国外からも関心を集めるようになっていった。

「コソボのメッシ」と言わているが、彼のプレースタイルはメッシというよりメスト・エジルとアリエン・ロッベンを掛け合わせたようなものだった。エジルのような創造性と繊細なボールタッチを持ちながら、ロッベンのようなスピードと多彩なドリブル技を持っている。


「これまで多くの人がリオネル・メッシのようだと言ったが、そうは思わない。私はエドン・ジェグロバだ。他の誰でもない」



若くしてバルセロナ、PSG、アーセナルなどの目に留まったが15歳のジェグロバは、スタンダールリエージュへ移籍した。ベルギーの新聞には「コソボのメッシ」と書かれており、それだけに期待も大きかった。

彼の能力はベルギーサッカーのユースレベルでは誰よりも優れていたが、トップチームのトレーニングではそれに見合うだけの力を発揮できず、スタンダールで定着することはなかった。すぐにベルギー1部のシントトロイデンにレンタルされ成長しその後、ベルギー屈指のクラブであるヘンクへ移籍した。 


「バルセロナも関心を示している」と彼の父親が言ったのは、シントトロイデンからヘンクへの移籍が決まったばかりの2017年3月のことだった。卓越した技術を持ち、長年にわたってコソボのメッシと言われてきたことは、彼自身もよく知っている。

昔からそうだった。小国コソボのプリシュティナユースでプレーしていた「だけ」なのに、10歳の頃から注目されていたんだ。 




現在はバーゼルでのプレーに集中しておりそこで素晴らしいプレーヤーになることを目指しているが、彼はバルサでプレーする事を夢見ている。

私の夢はバルセロナだ」

 




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