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お米を研ぐ

お米を研ぐことに前向きになる季節がやってきた。
冬場は水が冷たくてどうも気が進まない。
酷い時には重い腰をあげるのに小一時間かかるぐらいだ。

数ある家事を日々こなす中でお米を研ぐ時だけ、
何か不思議な感覚に陥ることがある。

これまでこの何かの正体は「素敵な自分」になれる瞬間だからだと思っていた。

これは勝手なイメージだが、
典型的な良いお母さんとか、素敵な俳優さんがドラマやCMの中で演じる円満な家庭の象徴に
「お米を研ぐ」という行動が頭に浮かぶ。

何か素敵な空間が無意識に頭に浮かぶ為、
その空間にいる自分も素敵だと錯覚するのではないか。そう思ってきた。

でも、今日気づいたことがある。
「お米を研ぐ」という行為は
現代の私たちが日々行なっている家事の中で
最も古くから形を変えず受け継がれているものではないか、と。

もちろん掃除、洗濯、料理も昔から行われてきた。しかし、どれも技術の進化によって方法や手段が変化し続けてきた。
もちろんお米を研ぐまでの過程は大きく変わってきたと思う。
しかし、「お米を研ぐ」という行為は時代を超えて昔のまま受け継がれている。
この先ロボットや機械がお米を研ぐ時代は来るのだろうか。

私が感じた不思議な感覚はもしかしたら、
先祖代々受け継がれてきた血が
「お米を研ぐ」という行為を通して
何か伝えようとしているのかもしれない。

そんな事を考えながら、
美味しい美味しいお米を頬張った。

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