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いい人参の日

2012年1月12日に株式会社韓国人參公社ジャパンの設立記念パーティーが開かれたことにちなんで、同社が記念日に制定。
高麗人参というのは、滋養強壮によいときく。このほかには、血を補充し、老化防止にもよい。骨髄細胞での核酸合成の促進、新陳代謝の促進、免疫力と造血機能の増進、予防能力の強化、寒さ暑さへの対応、記憶力の強化に効果がある。また、糖尿病や動脈硬化に明らかな効果がある。さらに、抗癌、血液循環の促進、抗疲労や神経の落ち着き、知性の向上に役にたつ。

高丽参的作用与功效具有大补元气、滋补强壮、补气溢血、抗衰老及滋补等功效。对促进骨髓细胞内核酸的合成,促进机体的物质代谢、提高免疫力和造血机能、增进机体的防病能力及抗严寒、抗高温、增强记忆力等方面都具有明显疗效,高丽在预防糖尿病,动脉硬化,高血压等方面亦有明显效果。此外,高丽参还有抗癌,控制疾病,促进血液循环,疏经通络,抗疲劳,增强免疫力、安神增智等功效。高丽参的适用人群有1、身体虚弱,体质较差的免疫力低下的中老年人士日常调理。2、妇女产后调理,产后元气大损,高丽参可以很好的补元气,最好等恶露干净之后食用。3、术后患者的恢复调理。
4、女性更年期综合症、易疲劳人士、男性性功能障碍患者
5、糖尿病、高血压、癌症患者的调理。

いいところばっかりだ。
さて、本物はどのくらいあるのだろうか。。。

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高麗人参をめぐる真偽論争や、値段の高低での論争もまた喧しい。
ただ、この人参を普通の人参と同じように毎日食すわけにもいかないことだけは確かである。
今日はエドモンド・バークの誕生日である。
彼は保守主義の父といわれる。いったい保守主義ってなんだろうか。
保守党という名はその実を語ったりしないように、トーリー党の単なる別名を保守というだけであったり、保守と保守主義とは違うということだったり、いろいろである。しかし、バークはホイッグ党の幹部になっていたりしたから、分類が違うという見方もしたりする。
漢方や高麗人参、八つ目うなぎなどの効力や真偽をめぐり、喧しいのと同じようになっている。

八つ目より7つの仮名が目の薬

柳留多にある川柳で、麻布飯倉浅田の”いれのこりこう”の方が効くよというのである。そんな効く効かないの話は、何百年も前から行われている。
保守か革新かの議論も同じだ。
そんなコンテキストの入り乱れている中で、バークは保守主義か否かなんて論じるのが馬鹿らしいと(学者さんすみません)私には思えてしまう。保守主義とはconservalismという英語の訳である。その本質は何なのか、それは体系化された教義なのか、何を保守しているのか、そうでなく精神や態度を示すものなのか。その解釈の統一はどんな文献をあたっても決着をみない気がする。バフチンのポリフォニーの通り、いろんなことが論じられるからこそいいのかもしれないが、政治嫌いの私にとってそれは日本で高麗人参が育てられるのかと大して変わらない論議なのである。

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さて、そういうある種の分類学はさておいて、ここでは、バークが目指していたものが、人類の文明化であり、バークを啓蒙思想家の1人としてみていこうと思う。いまだにマイノリティへのヘイトスピーチがネットで喧しい本朝日本にとってもバークの理論は示唆に富むであろう。
バークの大きな仕事の一つに、フランス革命の否定がある。当時のヨーロッパにとってフランス革命は刺激剤であった。バークはこの危険な刺激がイギリスの名誉革命の名誉を汚すものだとして、諸原理を整理と省察を試みたのである。

革命が行われたのは、我が国(英国)古来の疑うべからざる法と自由を維持するためであり、またわれわれにとって法と自由に対する唯一の保証である古来の国制を維持するためであった 「フランス革命をめぐる省察」

ここでバークは、フランス革命は新しい国制を創り、名誉革命は同じ目的のために古来の国制を維持したという。そしてフランス革命は群衆の専制をもたらしたと述べた。では、古来の国制はどんな原理なのかというと、それはマグナカルタ以来の相続・世襲の原理であった。バークの考えていたこの世襲は、おそらくこの言葉のもつケレン味はなく、宇宙的調和を念頭において、究極には神の摂理に基づくという壮大な時間軸をもつ原理である。

この原理の根本にはバークの「崇高と美の観念の起源」に端緒がみられる。
「崇高」ということを、現代の”保守の人”が威厳とか権威というのものを振りかざすとみては実は間違いである。であるが、バークは崇高を「恐怖」や「苦」「危険」「不安」といった外的対象の諸性質が現前する必要があるという。これだと、老害が”恐怖が必要なら”と威張ってしまうだろうが、これは、美の観念とも関連して捉えなければならない。当時の視覚偏重の文化すなわち、絵画の世紀、表徴の世紀とよばれるイリューリニズムと関係がある。(参考note: 黒の日)というのは、バークにとっての美というものが、再表象化にほかならない。写しが代理的に再現模倣するのが美ということなのである。そこには屹立する荒々しい岩肌が現前し、人々を高さによって恐怖させるものがあるのである。この感受性をバークは想像力だといった。バークにとって、想像力とは、類似や模倣をそのまま受け入れる能力で、決して目新しいものを創造する力ではない。

想像力にできるのは諸感覚から受け取った観念の配置を変更することだけである「崇高と美の探求」

そして崇高に必要なのは、”曖昧さ”であるという。なぜなら

何らかのひじょうに恐ろしいものにするためには、一般に曖昧さが必要不可欠である。我々が何らかの危険の極限を知ってしまうとすなわち自分の眼がそれに馴れてしまうと、その不安の大部分は消えてしまう

からである。”曖昧さ”=不明瞭という負の領域から取り出す崇高という概念。それは恐怖、何に対する恐怖かと言えば、無限性や連続性や一様性や暗闇や極度の光といった視覚がもたらす眩暈である。
バークは次に視覚が受け取ったこの眩暈を五感と結びつけ、それが自己保存の本能を呼び覚ますものとして、この本能を崇高と結びつけ高く評価するのである。この見事はネガポジの逆転の発想により、一瞬気を良くした老害に対し、バークなら「立ち去れサタン」と叫ぶことだろう。
フランス革命が、自然を無視した人工的な理論の勝利の快に酔っていることを懸念したのはその根底に、いまみたような崇高を感じることができる。
類似が模倣をよび、模倣が共感を呼び、そのシンパシーが道徳を喚起しながら崇高に迫ることをバークは重んじたのである。ゆえに、物質的な豊かさだけを目指したのではなく、精神的な習俗や人間性の洗練を含めて”革命の意義”を捉えていた。そこに現世利益だけ、自分の任期や人気だけを見ている近視的な視点を、バークの世襲や相続という概念は真っ向から否定するのであることは言うまでもない。

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強壮剤が、身体に対し一時的な熱や興奮をもたらし、それが一時的な健康に結びついている。それに対し、日常食の大事さを逆説的に感じるのである。
なるべく多くの種類の野菜を食べること。健康はまずにはこれに尽きるのである。これを保守的な食餌と名付けても名付けなくても大事なことになんら変化はないのである。

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<来年の宿題>
・ゲオルグ・ガダマー「真理と方法」
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●見出しの画像
信州で栽培される生高麗人蔘(オタネニンジン)
(画像はお借りしました)


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