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住宅の日

ガウディの誕生日であるから・・・
え?住宅と関係なくないか?・・・(サグラダ・ファミリア住めないし)
全国建設労働組合総連合が制定したというのだが、
”ガウディ→建築”という括りなら”建築の日”だろう。
”左官屋さんをはじめとする職人さんたちの腕をPRするため”ということだ。
日本の職人はたしかに素晴らしい。だが、売る人と作る人とでは全く違う。
新聞もインテリが書いて、やくざが売るなんて言われるが、それと似た構図があるようだ。
 不動産屋と建築職人の間の精度の違いが大きすぎるのである。
エレベーターは各階の床と寸分たがわず到着するが海外では少しズレがある。さらに、日本はとてもパンクチュアルで数字に正確だといわれる。
が、例外として、賃貸物件の”駅から◯分”はかなりアバウトである、ともいわれている。空室率はやる気になれば、かなり正確に出せるデータであるが、マンションを売る方としては空室率は少なく見せておきたいらしい。だから目検(えいや)で数えるという業者もあるほどだ。(都心の空室率は増加傾向というのは誰が考えても明らかなのに・・・お子様の私にはわからない。)
 最近の人は信じられないかもしれないが、ネット上に、もう決まっている物件が多く掲載されていて、問い合わせると、「その物件は決まってしまったんです。似た物件のこちらどうですか?」まるで羊頭狗肉だ。でも実話なのである。

羊頭狗肉、この言葉の出典は中国の仏教書の「無門関」からである。
この「無門関」という本は、日本に伝わったあと禅宗によってもてはやされ、江戸時代には大いに流行った。

《无门关》,全称《禅宗无门关》,宋代无门慧开禅师撰、参学弟子宗绍编的一部禅宗经典。本书根据慧开于绍定元年(1228年)夏在东嘉龙翔寺应邀为僧众拈提佛祖机缘时的记录整理而成,同年十二月刊行,共收录禅宗公案四十八则。淳祐五年(1245年)重刊,次年西湖安晚居士又增添了第四十九则。收入《大正藏》第四十八册。该书在禅林中流传很广,临济宗对其尤为重视。其英译本则在欧美十分流行

48の公案からなる  趙州狗子、百丈野狐、・・・、世尊拈花、・・・、乾峰一路などである。このうちの世尊拈花に”羊頭狗肉”の話が出てくるのである。
今日は旧暦では端午節である、中国では、この日ちまき(粽子)を食べるのだが、日本では柏餅として伝わっているが、中国の伝統行事としては屈原の遺恨を晴らそうとする行事ではじまったとされる。
屈原は春秋戦国時代の楚の政治家でかつ詩人でもあった。秦を信じてはならないと諌めたが聞き入れられず、その後紆余曲折あって左遷される。秦に楚の首都が陥落させられるのを見て、汨羅江に入水自殺した。そんな無念に同情を駆られ、五色の糸をちまきに結んで河に投げた。屈原の遺体が魚に食べられないように、、、屈原の命日が旧暦5月5日なのでそれが行事となったとされる。

起源于端午节祭祀龙或伍子胥的祭品,后来楚人为了让投江过世的屈原遗体不被虾蟹、鱼类所食,就以粽子投江喂鱼。另说则是直接以粽子祭祀屈原的亡魂

どこかしっくりこない行事の始まりだが、やはり異を唱える人がいる。
この起源とされるものが「續齊諧記」という小説で、この伝統の記載があるのだが、しかし漢の時代にはある医者が、汨羅江の近くにいて、水の神である龍に竹の筒に入れたご飯を食べてもらうとよいでしょう、または葉で包み龍がよく見えるように鮮やかな色の糸で結ぶとよいでしょう。といった。という伝説がすでにあったのだという。

屈原第一次與端午節搭上邊的相關記載,是在南朝的一本志怪小說《續齊諧記》,其中提到楚人有在五月五日以竹筒飯投水祭祀屈原的傳統。但是在漢朝的時候卻在屈原投江的長沙一帶,出現一個自稱三閭大夫(屈原也是這個官職)的人,對來祭拜的人說:「這些竹筒飯常常被水中蛟龍吃掉,你們最好用葉子包,再綁上彩線蛟龍看到就會不敢吃了

屈原の話は、漢から時代をくだり、魏晋南北朝時代に、この龍(河神)に投げる粽や糸がよく売れるように仕組んだマーケティングの手口のために盛られたにすぎないのである、というのである。

不管這是屈原顯靈,還是賣粽葉和繩子的人想出來的行銷妙招,都顯示屈原從漢朝到後來的魏晉南北朝,逐漸與端午節的傳說融為一體

日本でも中国に習い、柏餅を食べるのは江戸時代のことである。
マーケティング云々の話は別として、これから暑くなる時期に餅やちまきを食べて精をつけようというのは、人心の習いで、この行動を邪心でなく、不立文字で伝わるものとして世尊拈花のごとく受け入れたいものである。

だから、ガウディの誕生日が住宅の日であっても何の問題もないのである。



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