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聖バルバラの日

日によって守護聖人の日(Fête du jour)が決まっている。日本では馴染みがないが、例えば今日12月4日は、フランシスコ・ザビエルが守護聖人である。
そして、フランシスコ・ザビエルは日本にキリスト教を伝えたということであり、日本の守護聖人であるという具合だ。
おかしなことがあるもので、原始キリスト教はザビエルが日本に来る前に明らかに伝わっているとのことである。祇園というが、これは実はシオンというわけだ。そして、モーセのトーラーと大化の改新の類似性を指摘する人もいる。文献ないので本当かどうか歴史の痕跡をたどるのは至難の技だが、そういった面の状況証拠ばかりを集めてくると、なるほどと思わせるところが面白い。

いまは、聖人暦から外されてしまったようだが、12月4日は聖バルバラが殉教した日といわれる。だいたい守護聖人は殉教の日で決まることが多い。
次の記事では、聖バルバラの説明がある。

バールベックはレバノン東部、ベイルートの北東から85Kmのところにある。巨石があったり、バッカス神殿がある世界遺産に登録されている場所である。そこをバルバラの出身地という人もいるし、そこで殉教があったとする人もいる。確かではない。
バルバラは、キリスト教が禁じられている時代に生まれた。裕福な家だった。父は娘に変な虫がつかないように、ラプンツェル同様、塔に幽閉するが、バルバラは幽閉生活の中でキリスト教に目覚め、塔に3つの窓を設ける。この3というのは三位一体を示すということであるが、神と聖霊とキリストが同一であることを躍起になって示すのには、キリスト教史とからむところであろう。たとえばライプニッツは、7という数を2進法で示すと111になることから、この数は三位一体を示すといった。なにかにつけて、三位一体の徴(しるし)をみる病気になっている。異なる文化のことは奇異にみえることもあるのだ。普通に考えると、ユダヤ教を信じている者に説くときの便法であるように思われる。キリストが新興宗教であったので、ユダヤ教の神とおんなじだよ、といいたいのではないだろうか。不敬にあたるかもしれないので、邪推はこのへんにするとして、とにかく、この3つの窓に気づいた父は、キリスト教を信じる娘に激怒、なんと、殺そうとする。そして拷問にかけるのである。このときに岩が裂けてバルバラを連れ去る。そのあと羊飼いが父にバルバラの居場所をチクるとなんと、羊飼いはイナゴに姿を変えられてしまう。。。さまざまな奇跡によって蘇るバルバラだが、ついに父に首を斬られ殉教する。しかし父も雷に打たれ死んでしまう。

Certains avancent que Sainte Barbe est originaire de Baalbeck et que le récit de son martyre s’est déroulé dans cette ville ; ces informations ne sont cependant pas confirmées. Convertie au christianisme malgré les précautions de son père, elle fit ouvrir une troisième fenêtre dans sa tour, pour représenter la Sainte Trinité. Apprenant la nouvelle de sa conversion, son père, furieux, réclame sa mort, et lui fait subir toutes sortes de supplices. Certaines traditions rapportent qu’en essayant de fuir, un rocher se scinde miraculeusement devant elle, lui permettant de fuir des mains de ses tortionnaires. Elle finit par mourir décapitée par son père, qui meurt à son tour foudroyé.

一方からみれば正義で一方から見ると悪ということがあるが、この父も殉教と呼んでいいのではないだろうか。キリスト教を正とするなら、バルバラは殉教で、父は死んだ、父がどんな宗教を信じていたかわからないが、その宗教からみれば父は娘を処刑した直後、殉教したという記述になるはずだ。
屁理屈はともかく、バルバラはキリスト教を信じ殉教しさまざまな奇跡が伝説として伝えられているのである。とくに西方オリエントでは絶大に人気があった。15世紀ころの話である。

聖バルバラについてはしかし、その存在が不確かである。キリスト教の初期に遡って正しいという人がいるものの、カトリック教会では、不確かさによって公式には聖バルバラは聖人暦は外されてしまっているのである。

L’existence de Sainte Barbe est cependant sujette à des polémiques, quant à son historicité. Certains affirment qu’elle relève plutôt de la fantaisie, et d’autres confirment son existence et son culte qui remonteraient à l’aube du Christianisme. En raison de ces hésitations, et du manque de précision dans les divers récits rapportés sur son histoire, et l’inexactitude dans l’espace et le temps du déroulement des faits, l’Eglise catholique ne célèbre plus officiellement la Sainte Barbe.


1969年に聖パウロ4世は、新しい聖人暦を発表し、聖人の数をリストラした。このリストラによって、聖バルバラは削除される。が、レバノンの聖人暦には未だに掲載されているとのことである。

Le 14 février 1969, le Pape Paul IV publie son Motu proprio « Mysterii paschalis », une sorte de nouveau calendrier adressé à l’Église universelle, dans lequel – entre autres – il procède à une réduction du nombre de fêtes de saints, dont l’historicité n’est pas confirmée. La Sainte Barbe est ainsi rayée du calendrier romain général, mais y figure dans la catégorie des « Propres » (célébrations particulières à une communauté chrétienne précise), les Saints célébrés au Liban.

聖バルバラの後釜に据えられたのが、フランシスコ・ザビエルである。
個人的には、聖バルバラの伝説の方が魅力を感じてしまう。

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<来年の宿題>
・フランシスコ・ザビエルの活動
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●見出しの画像
聖バルバラ(画像はお借りしました)

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