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小学校開校記念日によせて

今日は小学校開校記念日であるという。
私は小・中学校時代にあまりよい教師に恵まれなかった。
としている、そういう記事をたくさん書いてきたが、
それは間違いで、よい教師とたくさん巡り合ってきたが、
自分の偏屈のせいで成長の機会を逃したと見るほうが妥当であることが
いまなら、わかるのである。
それが証拠に、取引先や上司はいつも嫌な対象である、
それから常に逃げている自分がいるのである。
休日は上司や取引先がまるで存在していないように振る舞うのである。
しかし奥底ではいつも未解決問題や喉にささった骨のような存在であるから
休日の過ごし方も、平日の過ごし方も いびつになる。

過去記事を参照してみよう。

2014年10月26日の記事である

精神論はいけないという
例えば
負けたのは気合が足りないからだと
叱ってはならないという
なぜか。
気合が足りないという意味が
定義できない。
対策である
気合を入れるということが
曖昧で、すぐに実践できないからだ

誰でもわかる枠組みを
取り入れ、数値化しないといけないという。
中学校の修学旅行から戻ったときのことを思い出した。
もう30年以上も前の時代で
先生もかなり無理を言っていた頃の話である。

どんな無理かといえば、
部活中に水を飲んではならない
と言われたのだ。
今なら、脱水症状を起こすと
医者が怒る。
先生方も今の時代なら
適度に水分補給せよと指導する。

しかし、当時は事情が違うのである

先生は、新京極の土産街で
龍の刺繍の入っていた
財布を買った生徒に注意した。


これには、私も腹がたった。
売ってる物を買って注意されるのは
心外だ。
先生に丁寧に 質問した。
なぜか、と。
先生の回答は中学生らしくない
とのこと。
中学生らしさの定義がよくわからないと 質問を続けると
ゴチャゴチャいうな
と、話が逸れたので、
自分用に買ったとは限らないと
反論したが
じゃあ 誰用だ?

答える義務はないといって、
会話を打ち切った。
その途端に、拳骨をくらった。
少し甘えていたと思う。
本質をわきまえていなかったとおもう。

つい最近まで、先生に理論では勝ってたと思い込んでいた。
実に軟弱者である。
JR九州の唐池会長は、
飲食業や農業などの新規事業を次々と
成功させた。
その著書が出たので
異業種との交流する見本として
目を通してみた。
すると、仕事は、気を呼び込まなければならない。

気を呼び込むためには
1.迅速できびきびとした動き
2.明るく元気な声
3.スキを見せない緊張感
4.つねに成長しよう、向上しようとするどん欲さ
が必要だ。
と説く。

ちょっと、ウンザリとしてしまった。
そして、
息が詰まった。

そして、自分の軟弱さに気付かされた。
情報よりも、経験なのだ。
コンピュータの能力は
近い将来、人間の脳を超えるという

それは、ある指標においてである。
ある指標であって
人間を超える存在にコンピュータが取って代わる物ではないと思う。
それは、しかし、精神論だ。
越えられない何かがあるとすれば
それしかない。
自分は、来たる国際化時代のために
日本文化に興味がある私には
何らかのアドバンテージがあると思ってきたが、そんなものは役に立たない
程の興味に過ぎない。
日本の文化を伝えられるように
といいつつ
換骨奪胎である。
知に過ぎれば、嘘をつく
といったのは伊達政宗だったか、、、
かといって、精神論を奨励するのではない。 気合いは目的がなければ無意味だ。そんなことではない。
人間らしさの根源への問いが
足りないということなのだ。
つまりは、何事かをなすには
精神論が先立つのだ。
甘すぎた自分に呆然とした。

先ほどの話で
百歩譲って、先生に理で勝ったところで、何になるのだ。
処理能力を誇ったところで
何になろう。
次元の違う自分の幼稚さを
思い知った。
頭は冷静に心は熱く
というが つまりはそういうことなのだ。

この言葉の本質を
わきまえていなかった。
焦らずのんびりくらいに捉えていたのだ。
むしろ、のんびりの真逆だ。
心が熱いからこそ
頭が冷静になるのだ。
しかししかし、
心の準備は整った。
明日から、人間修業だ。
楽しく行こう!    

 この記事のあとも自分は少しも成長してはいない。
小中学校の自分を分析してみると、教師のいう言葉について、
いちいち違う意見を言った。それは言うことをきかないのもそうだが、
どうだ俺のが正しいだろうというのと少し違っていて、
・俺は他の人と違う見地で物事をとらえることができる、
・先生のいうことが絶対ではないことを俺はわかっている
ということを言いふらし、自分に酔っている自分大好き人間にすぎない。

上司や取引先にはそれが通じないから拗ねているにすぎないのだ。
さすがに最近は処世術を覚えて(ただ慣れたにすぎない)そのときそのときできちんと整理して自分の主張を伝えてクロージングして、歪さはとれてきた。

それとて、幼少期にどてらい男(やつ)という存在に目をつけられて苛められてからの軽いトラウマを解消しつつあるにすぎない。
この類(たぐい)の過去記事を焼き直ししても、不毛に思えるし、なによりも、恥ずかしい。一言でいうと自己本位すぎるのである。

 しかし、それ(過去記事を引用しみつめなおすこと)が成長につながるといえなくはないであろう。恥ずかしいことを直視し、あがくこと、しかも過去記事がとらえているように冷静にとらえていこうと思う。

小〜高校までは自分の黒歴史といってもいいが、実は恵まれて育ったことぐらい自己本位の自分でもわかる。そして今思えば、小〜高までが黒いのでなく、そのことを都合よく修飾して書いている時期のほうが黒い。
折に触れて、過去記事を引きずりだしてさらけ出し、焼き直していこうと思う。
そうしたことに思いを馳せるとき、自分にとって部活(剣道をやっていた)が自己発現の場としてどれだけ支えになっていたかを思い知る。

 今年の感染症の影響で、高野連の中止や、インハイの中止の影響は計り知れない。やむを得ないとしているが、練習不足であっても、なんであってもなんらかの場はつくれないのだろうか・・・・とまだしつこく思ってしまう。イベントとしてのスポーツはあきらめるとしても、なんらかの形で自己発現の場は存続させることができないだろうか・・・と考えるがやはり簡単なことではない。

永井荷風は「伝通院」の中で
「私の幼い頃の幸福なる記憶も・・・」と記している。
いまの水道橋界隈である伝通院の古刹により蘇る記憶を慈しむ荷風。
自分の幼少期を黒歴史とみなし呻くより、恵まれていたなにかを見出し見直したほうがよいことは間違えないと思えてきた。




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