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クリーンコールデー

 語呂合わせで、日本鉄鋼連盟、電気事業連合会、日本石炭協会などの8団体が制定。
 いまさら石炭もないものだが、アジア諸国ではいまでも健在だ。しかし、
石炭はほかエネルギー原料よりも二酸化炭素の排出量が多いのが問題であるが、日本はそれを取り除く技術が高いそうだ。
 じゃあ、アジア諸国が”ほかのエネルギー原料”を使えばよいと思うのだが、そうでもないのか・・・
 ミャンマーに赴任したことがある。通信規格の面では面白い現象が起きていた。日本では、電話のアナログ回線→INS(デジタル回線)→ADSLといった具合に漸次的に進化をたどった。2000年にADSLが出て2010年にLTEサービスがNTTDocomoで2013年にau、softbankが追随・・・っていう感じのところをミャンマー(ヤンゴン)では3Gから4Gまでの移行がわずか数ヶ月だ。一気にLTEが普及した。漸次的過程がなく、ミャンマーではいきなりLTE回線である。
 アナログ回線のころは、”テレ放題”っていう時間帯があった。その時間帯になるとネット回線が混雑した。その時間帯以外は課金されるのである。だからなるべく画像は使わないで表現したし、キャッシュも現在より、量が大事な役割を占めていた。リアルタイムになにか見ようなんて感覚はなかった。キャッシュに溜め込んであとで見ようとかそうした技術を使った。回線速度が上がっても、キャッシュはデータ通信短縮以外の大事な役目があるにはあるが、見ているページの情報を最新にするためには除去するのがいい。
 そういったつながらない、遅いWEBページの様子を経験することなく、いきなり動画をストレスなく見ることができる回線速度になったのだ。こうした一足飛びは情緒がなく、速くなった感動がないと感じるのだが、キャッシュ同様いらない過去のものであろう。 
 繰り返すが、エネルギー原料に比べて二酸化炭素の排出量が多いので、石炭を使うなら、これを取り除く技術が必要。日本の除去技術は世界トップクラスだというんだが、そんなこと自慢されるより、ほかのエネルギーに換えれば解決が必要ではないのか、自慢は要らない。ただ、そうならないのはどんな構造があるのか。。。

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 さて、今日は野球界では大きなできことがあった。
1962年に、国鉄スワローズの金田正一投手が通算奪三振の世界記録を樹立(3514K)さらに、1977年9月3日に王貞治が756号のホームランを打ち、9月5日には、国民栄誉賞に輝いた。
 華々しく活躍する野球人たちの姿は、躍動感溢れる。スター性がある。
そのスター性に憧れて野球を始める人も少なくないのであろう。
 大人や教師は子供は夢を持たないといけないと諭す。さらに夢を諦めるなという。これは一体なぜだろう。誰もが金田や王になれないことはわかっているのに・・・夢を諦めろというと、ドリームキラーと呼ばれてしまう。
 個人的には、夢というより、身の丈にあった目標をもって、対策したほうが費用対効果が高いと思う。夢っていう言葉には、どこか無期限で、達成できなくてもOKというニュアンスが少しは含まれているのではないのか。夢を諦めるという選択こそを人間を成長させるということもあるのではないか。そんなに子供を甘やかすことがいいのかどうか、いつも疑問に思うのである。夢は諦めることに意義がある。自分に相応しい目標を常に見つめた者だけがたどり着ける境地があるのだと思う。。。

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 今日はトマソ・カンパネラが生まれた日でもある。
彼はルネサンスの時代に生まれた。ちょうど旧来の諸学の知識体系のほとんどが塗り替えられた時期である。カンパネラはあらゆる分野において、革新的に塗り替えようとし、さらに汎感覚論によって新しい包括的な知識体系の構築を試みようとさえしたのである。

Campanella développe une métaphysique de cinq mondes.
1) Le monde archétype (mundus archetypus) est Dieu, essence éternelle de toutes choses.
2) Le monde spirituel (mundus mentalis) regroupe les esprits, les âmes angéliques, les âmes humaines.
3) Le monde mathématique (mundus mathematicus) est l'espace (Spatium).
4) Le monde matériel (mundus materialis) est la masse corporelle indistincte (corporea moles).
 Enfin,
5) le monde des situations (mundus situalis) désigne les lieux et systèmes distincts.

世界はすべて、神の感覚、生命、魂、からだであり、神の像なのである。
初期の頃の著作「事物の感覚と魔術について」に

我々も空気のすべてを吸い込むことができないし、我らの魂が無限を知るために広がることはなおさらできない。ただし、無限の神が存在し、それが善であり、神聖であり、正しいということを信じること、また無限の神は肉のつながりによる父以上に我らに善きことをなしうるし、なしたいと望んでいると信じることは必要であり、正しい。それでは、この信仰が強い力を持ち我らの望むものに姿を変えることができるのは、それが信仰だからでなく、神への信仰こそが、すべての事物の原因だからである。

とある。

 百科全書的な要求に取り憑かれたカンパネラは、「革新された諸学十巻」という企画を立てた。しかし刊行できたのは、半分の5巻のみであった。これはしかし、カンパネラを責めるわけにはいかない。ちょっと生涯を振り返ってみよう。
 テレジオの思想に心酔したカンパネラは、アリストテレス的宇宙観や物理学に反旗を翻した。ところが、テレジオの書は焼かれ、宇宙の無限を説くブルーノは焼き殺された。ついでガリレオは裁判で弾劾された。ガリレオと親交のあったカンパネラは彼を擁護し、逮捕された。カンパネラの生涯は、聖当局の絶えざる追及、監禁や投獄、審問や拷問の連続であった。自書の放棄も誓わされる。聖書というより、アリストテレスに対する教会の狂信はそれほどまでに科学を退けていたし、またカンパネラも執筆どころではなかったのである。獄中にあっても彼は、思索を続けて、監視の目を盗んでは執筆を続けていたのである。

Lors d'un séjour à Naples en 1590, il publie une Philosophia Sensibus Demonstrata, œuvre marquée par les théories naturalistes : il est accusé d'hérésie et condamné à la prison. Libéré sous la condition de regagner la Calabre, il parcourt toutefois l'Italie pendant une dizaine d'années et se fait fréquemment condamner pour ses idées.
Il a connu Galilée, qu'il devait défendre plus tard, à Padoue. En 1598, Campanella rejoint enfin son couvent de Calabre, mais semble avoir en vue d'y instaurer une sorte de république théocratique. À nouveau arrêté, il est transféré vers Naples où il subit la torture avant d'être condamné, en 1602, pour hérésie.

彼の著作の中で目をひくのは、やはり「太陽の都」であろう。
彼なりのユートピア国家を書物として完成させたのである。そこには、共産主義的な生活が描かれ、革新が予言され、占星術によって裏付けられる。
晩年まで新しい科学によって塗り替えられた世界の到来が見えている彼はその世界をなんとしても自分の筆で書ききりたかったに違いない。

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 金田や王の大記録は熾烈な努力とそして才能の証であった。しかしながらそれは挫折の連続でもあったのだ。
 カンパネラは「太陽の都」にたくさんの加筆をしている。それは夢を諦めた跡である。しかし、そのおかげで、本は焼かれずに今に残ったのである。

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<来年の宿題>
・石炭の世界史
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