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成田空港開港記念日

この日をうれしい、という気持ちで迎える人は果たしてどのくらいいるのだろうか・・・

アメリカからの外圧による空路確保の問題。
本多勝一や鎌田慧がいうような建設における利権の問題といった日本の社会問題。加えて、当時は学生運動の最中だったので、三里塚にこの問題が一挙に押し寄せ、血が流れた。
国の玄関口として外面(そとずら)よく整えているものの、日本だけでなく空港建設には苦心しているが、”成田の二の舞はごめんだ”というスローガンのもと、ドイツのミュンヘン空港は比較的平和的に建設されたという。
 すべてが平和のうちに解決するのが理想ではあるのだが、外圧の問題について沖縄の辺野古基地の建設については 解決には程遠いように感じるし、利権の問題についても国有地払い下げの問題で政府関係者たちが説明に窮している姿をみれば、解決には程遠いというか、そもそも 利権がこの世にある限り、なくならない問題のように感じる。最後の社会の矛盾に対して行動するのはとてもおとなしくなったという印象もある。

 いずれにせよ、そんな様々な問題はいったん括弧にくくり(現象学的還元)われわれは空港を利用しているのである。けれども、開港記念日と能天気に設定されたこの日、はたしてエポケー(判断停止)するのが妥当かどうかはわからない。なぜなら、そもそも開港されたよかったね!と手放しで喜んだ人はあまりいないと思うし、さらにいえば様々な問題はいまだ未解決問題としていまだ現存し、経験を完全にいかしているとは限らないからである。

 昭和53年3月26日、本当はこの日が開港記念日となるはずであったが、新左翼の過激派が空港の管制塔を占拠した。イギリスの報道は揶揄を含んで血塗られたエアポートと呼び、福田内閣は面目をつぶされた格好になった、2020年の今年、この管制塔の取り壊すことになっているはずである。
 成田闘争は、これまで政府の思いどおりになっていたことが、それほど思惑どおりでなく民意に正しく理解を求めるように政府に突きつけた。けれども新左翼過激派の行動は、反対派の意図とは無関係に暴力沙汰を起こしそれがもとで内ゲバになって終わる様子から全国の反対派から忌避される派閥とみなされるようにもなった。

 この構図は管制塔が壊される今もそう変わらないし、政府と反対派との抗争の中でパターンになっていることなのかもしれない。
 そして、占領したい国が内乱をわざと起こさせて混乱時に戦争を引き起こすみたいな仕掛けのごとく、実は新左翼みたいな役割を担う人を政府が暗黙裡に派遣し、政府が反対派を叩く糸口(端緒)にするのではないかと、小説みたいなことを夢想しているのだが、真実は小説よりも奇なり、なので当たらずとも遠からずのことであろうと内心思って、そして忘れよう(エポケー)と思うのである。

 管制塔が取り壊される今年、成田空港は伝染病の影響を受けて閑散とした開港記念日を迎えている。

 海外旅行が好きな私は そんな問題はすべて五月雨に洗い流して、ウキウキしながら過ごす空港を早く取り戻してもらいたいものだ と願うのみである。

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