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2021年元旦

あけまして おめでとうございます
本年もよろしくおねがいします

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私はといえば、元旦は寒稽古の日(剣道を少々やっていた)であった。朝まだ来ない寒暁の中、道場に防具を担いで歩いた。そんな経験があったので、元旦はスポーツにいそしむことが通例だと勘違いしていた。
家族で過ごすものときいたときは違和感しかない。そもそも、元旦も普通の日だろう。金魚に餌をあげるとき、元旦だけなんかするのか... 人間の勝手に決めた線引にすぎないだろうという感覚があった。家族の圧力に屈せず、時給が高いからという理由と、もっと大きくは、ひねくれた自分に酔うという理由で東京にとどまった。2番正月くらいで、おずおずと東京から故郷へ逆走することが、風を切って世の中を渡っている気でいた。”どうだ!この方が便利だろう”というわけだ。いまでもそういった奇の衒い方が好きである。

先生をみてみよう。永井荷風 大正9年の断腸亭日乗である。

正月元旦。
間適の余生暦日なきこと山中にあるが如し。午後鷲津牧師来訪。この日風なく近年稀なる好き正月なり。されど年賀に行くべき処なければ、自炊の夕餉を終わりて直ぐに寝に就く

この淡々さがよい。
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書き初めとは、一年を通して始終 書を嗜む人がやるべきもの。
初詣も一年を通して始終 神社に信心をいたせる人がやるべきもの。
正月にかこつけて、土俵を踏み間違えたる衆生に神はなんと思うだろうか。

だから、日常をことさらにすればよいことである。抱負のことを心に深く思い定め、行動原則を邪魔の入らないこの時期に整えることこそよいであろうと、このように思うのである。

昔から山神(歳神)を家に招き入れることを日本では主として様々な行事がなされた。江戸時代は元旦は寝正月。つまりは何もしなかった。
けれども時期が違う。本来は、季節柄にあわせて旧暦にそれをするのがよいであろう。ただ、世間にあまりに逆らうのもなんだからという理由で、怠け心に寄せて、だらだらと過ごそうと思う。
本日もいつものnoteはお休みして、明日から開始とさせていただく。


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