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新聞なんてラララ

2009年の1月23日の記事である

「私たちの思考はすべて、現在の事象とその結果として現れるもの
とのあいだには関係がある、という前提のもとにおこなわれている」
とヒュームがいった。
しかし、そうでない場合もあるのではないか
あるいはおそろしく近視的に思考され実行に移してしまうときが
あるのではないか
中国のメラミン混入粉ミルク事件で22日、製造販売の業者に死刑が言い渡された
とのことであるが、
実行者は遠い結果をみていない
急がば回れ
私は風水の思想の根幹のひとつのテーゼであると思う。
水の急流を嫌い、周囲をぐるりとめぐらせるのを良しとする。
なんでも急に解決するのはよくないのであろう。
ミルクに混入させたのは食の安全よりも、利益を優先させた結果に
すぎない。もっと根本的に解決したほうがよいのである。
自分も解決を急ぐことがあれば、この事件の死刑判決を思い出すことと
しよう。
しかし、漸次的にいくのは人間にとって忍耐力が必要である。
気分は一気に、対策はゆっくりがいいのであろう。
景気回復も景気が”気分”であるので、それは一気におこなってしまうのがよいであろう。
ただ、対策はゆっくりと時間がかかるものにならざるを得ないのが現実である
このダブルスタンダードで不景気をのりきろうと思う。

言うまでもないことだが、同じことはヒュームを引用しないでも言える。
つまり当時の私は、ヒュームを導入して権威づけしたかったのだろうが
ヒュームの”読み”という観点からみても、いいたいことの論理の組み立ても破綻している。

ヒュームは「人間本性論」において、知覚を観念と印象を分けている。
つまり 引用した文のすぐあとで私が違う面もあると書いているが
それはすでにヒュームがもっとダイナミックに論じているのである。
<印象から観念は生じるが観念から印象は生じない>

そもそもそこの大胆さがヒュームのすごさであるのに、読み落としているのか。。。

引用記事で いいたいことは、
人は必ずしも<先を考えて行動しない>
ということなのであろう、その解決方法として風水を提案しているようだが
だったら、ヒュームによって語らせることもできたのだと思う。

ヒュームは近視眼的な欲望を忌避するためには
習慣によって遠い未来といまの欲望を接続させるしかないとおそらくいうだろうことは著書をしっかり読めばわかると思うしヒュームを引用したのなら風水よりもそちらのほうが面白い記事になったと思う。

ところで、この記事では新聞記事を引用して云々しているようだ。
世間に追いつこうとした、ということであろう。

しかし世論は新聞記事をいちいちチェックしないといけないのであろうか。

新聞記事などというものは、いちいちヒュームのいうところの印象に訴えている。そんなものを読んで自分がどう感じようと、それが世間とズレていようがいまいが、とりたてて、自分なぞが論じることでなく、それはインフルエンサーの仕事であり、畢竟なんらかの商業的社会的活動への促し(購買行動を含む)を助長するものに過ぎない。

 そして、私の生き方としては、インフルエンサーの仕事の否定なのであるからして、いちいち反応する必要がないのである。
 引用記事で粉ミルクを論じているが、粉ミルクにメラニンを混入させた行為を否定することなど世間がすでにやっていることだし、新聞記事もまさにその論調で、それを上塗りしても二番煎じにすぎないのでつまらない。
 つまりは、いまさらながら自分が言及するたぐいのことではないはずであるのに、実につまらない内容である。(しかも論理的でもない)

 この類(たぐい)の記事は自分の成長(というか思考の変化)の過程をみるという点では(日記感覚で)楽しいかもしれないが、インフルエンサーや芸能人の日記ならなんらかの価値があるが、私が書いても価値は出ない。

 それと同じ理屈で、新聞やニュースを私なぞが追ってもつまらないし、
私にとっては、つまらない情報が入ってくるだけである。


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