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今日はサイクリングの日

今日はサイクリングの日だという
2009年の自己記事を引用しよう
「世紀末の自転車」とタイトルがついている。

ローベルト マイヤーは永久機械をつくろうとした
その副産物としてエネルギー保存の法則が見つかる
マイヤーはしかし、永久機械そのものの不可能性を
宣言してしまう
とはいえ メタモルフォーゼとしての永久運動は
続ける(発狂するのだが・・・・)
一方 シェーアバルトという小説家が
永久機械をなおも作ろうとした
しかも 彼は それがもたらすユートピアまで夢を見て
高度経済成長をこの機械はもたらすだろうが
経済成長下で文学が栄えた試しがないので
隠遁しようかと心配までしていたのだ
まさに 杞憂であったが 
彼は永久に動く自転車のようなものを創造しようとした
しかし しかし
ジョルジュ・スーラが 曲乗りの女芸人を描き
ジャコメッティが車輪のイメージに取り憑かれ
M。デュシャンは「自転車の車輪」というそのものの
作品を作るのも 時期はみな18世紀末から19世紀初頭である
シェーアバルトだけではないのである
日本でも 坂口安吾が法輪に夢中になるのもこの時期だ
GMとセグウエイが二人乗りの電気自動車を計画している
という
世紀末から世紀初頭にかけては
回るものが流行る

なんだか最近恐ろしいほど知識力や記憶力が落ちているのである。本当はこれらのことをよく覚えていなければならない、さらに深めていかなければならないのに放置しているのだ。
知の力になっていないシニフィアンの羅列を感じる。
失われた10年を感じるのであるが、それとても取り戻していこうと思うのが本ノートである。

まず、永久機関は、錬金術同様、古代からオタク系知識人たちを魅了してきたテーマである。天才レオナルド・ダ・ヴィンチだって、「流れ落ちる水の落下時の衝撃力をうまく使えば 同じ量の水を持ち上げることができる」と思っていたのだ。
なんだか、エッシャーのだまし絵を思い出す。

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ヲタクの気持ちは、富や天命を超越するためには、やはり賢者の石をなんとしても手に入れないといけないと考えるのだ。永久機関が実現できるなら、理論的には誰でも天命に関係なく輝かしい未来を位置づけることができる。神からの独立を果たした独身者たちの思いは、(単なる怠け者であるといってはいけない)なみなみならぬ努力をして実現を試みた。ただし理論で、、、。そして、このような根源的動機のほかに、うまくいかないんだ 理論的にはうまく描けているのに、どうして実現しないんだ、と思ってしまったのは永久機関が存在しない理由をきちんと説明できる理論がなかったからだ。

 マイヤーはここに理論を与えたエネルギー保存の法則を唱えた。
オタク系知識人が考えた永久機関は、1サイクルもしないうちに、みんな止まってしまった。位置エネルギーは保存されて 運動エネルギーに変換されるが、それを元の位置に戻すエネルギーはどこからも供給されないからなのである。これで、第一種の永久機関はマイヤーの法則によって立ち消えた。
 ところが 永久機関を希求する熱はなおも冷めない。
 (シェーアバルトなどは文学部であった私の趣味ゆえにでてくると思われるのだが尊敬する種村季弘氏がちゃんと訳している。)
 

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熱力学の第一法則(孤立系のエネルギーの総量は変化しない)が唱えれると
ついえたはずの永久機関の夢想はなおも続く、それなら、熱エネルギーを運動エネルギーに変え、その運動エネルギーで出てきた熱をもとに戻せば、永久に走り続ける機関ができる・・・水から得たエネルギーを水に戻すことによって何度でも水からエネルギーを取り出すことができる船も実際に考えられた。第二種永久機関である。

 しかし、この第二種も熱力学第二法則(エントロピーの法則)によって熱の伝導が不可逆性を持つことからこれも潰(つい)える。
 そして、マクスウェルの悪魔がここに登場してくるのである。この悪魔は長い間、物理学者たちを苦しめた難題であった。情報力学が登場するまで解決を得ることができなかった。(この情報力学によって情報を得ることで仕事がうまれるというヲタクにとってはまたとないチャンスを得ることになる。)

自己記事で最後に「世紀末から世紀初頭にかけては回るものが流行る」としているが・・・これは出典不明だから自分の考えであるらしいけれど、確証はもてない(笑) 。

ただいえるのは、知を求める人間の飽くことなき力こそ神が与えた永久機関のように感じる。


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