見出し画像

競馬の日

 日本中央競馬会(JRA)発足が、1954年の9月16日だったことから制定された。競馬は江戸末期に横浜の外国人居留地で行われたのが近代競馬の最初だという。いまでも根岸ステークスにその名が残る。

 発祥が得意な英国、ゴルフもサッカーもそして競馬もイギリス発祥だ。
イギリスには、ほかにもきりがないくらい発祥がある。株式会社も株という仕組みもイギリスだ。
 競馬というとギャンブルだというフィルターがかかる。期待値は75%なので、普通に勝負すると、1000円払って750円返ってくるという計算になるのでまぁ損である。ただし、どんな世界にも例外があるところが味噌だ。株も競馬も少ないが収支が黒字の人もいる。ずいぶん前になるが、競馬裁判とよばれる裁判があった。卍という人らしいがもちろん仮名だろう。競馬の馬券配当を申告しなかったということで国税局から追徴金が課せられたが、馬券購入費用を経費だと主張して減額を主張し裁判になった。裁判所は卍の主張を取り入れ経費だとして国税局の上告も退けた。使った経費は、実に28億7000万円。配当金は30億を超え3年で1億円以上稼いだことになる。回収率は105%だ。しかし、単なる遊興の範囲なら、経費として認められることはなかっただろうと思う。競馬ソフトの予想ロジックを改良して買い目をカスタマイズ。カスタマイズしたロジックに従って馬券を購入していたとのことである。ほぼ全レースについて賭けていたことと、独自のロジックを確立していたことが、経費として認められたということだ。どんな場合でも経費として認められるわけではないし、しかもこのケースは簡単には真似できない。競馬も株も上位数パーセントがリターンを得ることができる。ギャンプルと考えるか、投資と考えるかは独自のロジックが生み出せるかどうかが鍵だ。
まぁ儲からなければ、そして、そもそも税金を支払っていれば問題にはならない。だから遊びの範囲なら、経費かどうかはなんら気にすることはない。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
 世界に広がった競馬のやり方も最初はイギリス固有の問題解決がもとになっていることが多いということは面白い。最初から普遍ありきではないのだ。
 まずは、競馬自体は古代からあった。ホメロスのイリアスに出てくる戦車競走もそうだ。映画ベン・ハーでも有名なシーンである。

画像1

 ここで書きたいのは、”近代競馬”である。近代競馬の確立は紳士といわれる貴族階級がコーヒーショップの常連になり、ジョッキークラブが成立してきたところに始まる。ジョッキークラブの管掌範囲は、基本的に形式・枠組みの管理と運営に限られる。賭博事業とは一切関わりがないところも注目だ。
 イギリスにおいてはブックメーカーなどの民間企業が民営事業として賭博をやっているということも注目したい。さらにジョッキークラブも民営であり、国が関わらないというところは他国とは一線を画す点である。そういった閉鎖的で特権的で排他的な組織であることが、紳士の存在根拠にもなっている。そうした点は賭博が基本禁止の国で、(日本、そしてフランスもそうであるが)国営で競馬事業が運営されているのと大きく違う点である。
 近代競馬の発想はコーヒーショップ、”レッド・ライオン・イン”の常連たちによって作られた。セントレジャーという紳士が提案したレースだということだ。1778年の開催からこの名で呼ぼうということになり、セントレジャー・ステークスとなった。そもそもステークスとは馬主どおしが賞金を拠出しあって開催されるレースのことである。今日では純粋なステークスはあまりないという。18世紀後期の話であるが、大衆が競馬を知るのは19世紀で、この頃は貴族のみの秘事だった。1778年の冬、セントレジャーの友人のバンベリー卿、バーゴイン将軍の二人が、ジョッキークラブのダービー伯爵エドワード・スタンレイに対し説得を試みていた。場所はオークスという名の屋敷だ。この屋敷はもともと居酒屋だった建物をバーゴインが購入、改装しエドワードに譲ったもので、エプソムという温泉の湧く静養地にあった。
説得は成功し、3歳牝馬によるステークスが行われる。第一回オークスステークスはエドワードの馬であるブリジットが勝ち、今度はエドワードの方から牡馬も発走できるレースを提案、これが、”ダービー”の発祥である。
 19世紀に入り、競馬の大衆化の中で、1000ギニー、2000ギニーといわれる若駒のレースが開催される。セントレジャー、オークス、ダービーと並んで5大クラシックレースと呼ばれ確立するのである。いみじくもベンジャミン・フランクリンが時は金なりといった時代で、経済レースもこの頃から激化する。競馬が工業化が加速する経済を象徴する存在となっていくのだ。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
ダーウィンのことを、神への冒涜というのなら、サラブレッドを作るための交配はそれよりもエグいといえるだろう。through-bread のthroughは完璧なを表すという、完璧な交配という意味だが、オックスフォード英語辞典によれば、1701年が初出で、もともとは軍人に用いたらしい。良家の出の政治家を指してサラブレッドというのは馬に例えたわけでなく、それが本来で、むしろ馬をそう呼ぶように転用されたという順番であるらしい。
紛らわしい(笑)
 ダーウィンを引き合いに出したが、すべてが選択と淘汰のプロセスである。だが馬のサラブレッドのアダムは3頭の馬に絞られる。バイアリーターク、ダーレイ・アラビアン、ゴドルフィン・アラビアンだ。
 サラブレッドの繁殖記録を記したのは、ジェイムズ・ウェザビーである。これは、レーシングカレンダーの編纂もしている人物で、バンベリー卿の推薦によって選ばれた。血統の記録簿はいまだにウェザビーという会社によって運用されている。4年に1回発行する。

Le General Stud-Book est un registre généalogique de chevaux en Grande-Bretagne et en Irlande. Plus précisément, il est utilisé pour documenter l'élevage du Pur-sang et la fondation de la race à partir du cheval Arabe. Désormais, il est publié tous les quatre ans par Weatherbys. 

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
  馬の蹄鉄は、ホースシューという。イギリスではこれに霊力が宿ると信じている。炭鉱の入り口には落盤事故防止のため馬の蹄鉄が取り付けられたという。魔除けという人もいたり、解放部を上にすると幸運がやってきて、下にすると逃げないともいわれている。

画像2

馬は幸運を取り付けて走っているのである。

先ごろ(9月5日)、札幌2歳ステークスにおいて、白毛の馬が勝ち馬になった。これが、白馬の中央競馬史上初の芝の重賞制覇となったという。
 ヒルフィギュアという先史時代の(鉄器時代)遺跡がある。イギリスの土壌は石灰質で、表面の草をそぎ取ると白い土が浮かび上がる。緑の大地に白く絵が浮かび上がるようにみえて、しかもこれがナスカの地上絵みたく大きいため、果たして誰がどのように残したものか・・・全容が解明されていないという。イギリスのあちこちにあり、18世紀に意図的に作られたものがあるが、「アフィントンの白馬」は青銅器時代作られたものだという。

画像3

ペガサスやユニコーンを思わせる白馬、、、そこに人知を超えた不思議なものをみることができる。
 スコッチのホワイト・ホースという銘柄も絶妙なブレンドで、世界中で有名になった。馬の血統のブレンド(交配)もやはり絶妙といえるのではないだろうか、その絶妙具合で、いつしか自分のところにも、幸運がやってくると思っているのは、白馬の王子をいつまでも待つ女性のようであろうか・・・

------------------------------------------------
<来年の宿題>
・馬券の統計について☆
・血統書について
☆・・・来年以降かも・・・
------------------------------------------------

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-
●見出しの画像
スコッチ・ウィスキー ホワイトホースのラベル


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?