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とある雪の日

厚さ20センチほど積もった雪は表面が軽く凍っており、一歩踏み出すたびにさくさくと軽快な音を立てた。まだ誰も足を付けていない真っ白な雪景色。あんまり足跡を付けちゃうと雪を掻く時に大変だからね、と家族が言っていたが、たのしいものはたのしいので仕方がない。さくさく、さくさく。夢中になって白い雪景色に足跡を残す。300メートルほど歩いただろうか。後ろを振り返って自分の足跡がしっかりと刻まれているか確認する。すると、真っ白い景色には自分の足跡だけが点々と続いていた。

日没から割と時間は立ったはずだが辺りは明るい。いつもは寂しげな外灯も雪の前では温かい雰囲気を醸し出すことを知った。なんだか自分が非日常にいるみたいで、やっぱりたのしい。そろそろご飯の時間だ。自分の付けた足跡に再び長靴を突っ込むと、来た道を引き返し始めた。新しく足跡を付けたら折角の景色が汚れちゃうもんね。先ほどの軽快な音とは打って変わってぼりぼりと長靴が雪を嚙み締める音を聞きながら、帰路へ着く。今日のご飯はなんだろう。出汁のいい香りがした気がするなあ。鍋かな?鍋だきっと。鍋のおなかになっちゃいました。私はもう鍋しか受け付けま


ばっしゃーん。


雪が衝撃と音を吸収した、どことなく間抜けな音と共に乗用車が目の前で横転した。目の前だった。歩くスピードがあと3秒ぐらい違ったら巻き込まれたかもしれない。運がよかった。こわ。

相当スピードを出していたみたいだ。車体は止まることなくつるつると滑っていく。割と高そうな車が雪で滑り落ちていく様は滑稽だった。滑稽、滑稽………?滑るって意味は知ってるけど、稽ってどういう意味だろう?滑っていくさまがまさに滑稽だが……稽…稽……。早速ポケットからスマホを取り出し「稽 意味」と検索してみる。すると「くらべてかんがえる」「止まる」「進まない」「滞る」といった意味が出てきた。止まる?全然止まってないよあの車。寧ろ止めてほしいと思ってるのでは?まぁ止まらないんだけどね。滑りまくりだ。くつくつとこの場面と不釣り合いな笑みを浮かべながらスマホをポケットに仕舞い込んだ。とりあえずあの車を見に行こう。たのしそうだし。

少しコミカルに見えた車の横転劇だったが、ちょっとした惨事のなり損ねみたいな感じにはなっていた。22センチの積もった雪は車体によって纏めてえぐり取られており、むき出しのアスファルトにはボディの色素であろう明るめの赤色が刻み込まれていた。100メートルほど進むとガードレールに激突し車体がひっくり返って強引にせき止められた赤色の車両が目に入った。ワイルドスピードみたいなことしてんなこの車。

「ドミニクさん、大丈夫ですかー?」

少し離れたところから声をかけてみるが返事はない。上を向いたタイヤが無意味に空転していた。やはり滑稽だ。空転しているタイヤを手で止める。一応タイヤはスタッドレスのようだった。

跪いて上下反転した車窓を覗き込むと若い男の人が運転席で目を瞑っていた。ほかに乗っている人はいないようだった。助手席ではチャイルドシートがひっくり返っていたがたぶん誰も乗っていないだろう。根拠はない。

「もしもし、もしもーし。大丈夫ですか?」

車窓をコンコンと叩く。コンコン、コンコン、ゴンゴン。強めに叩いてみるものの目を覚ます気配がない。死んだ?でも目立った外傷はないしなあ……気絶してるだけかな?車の周りをうろうろしながら5分ほど待ってみる。白景色の中の剝き出しの黒いアスファルトはなんだか不気味に思えた。男からの返事はない。

埒が明かないのでとりあえず110番へコールする。こんな片田舎で事故ったら翌日注目の的だろうに、かわいそうだなあ……。電話口の事務員の方に手短に用件と場所だけ伝えると電話を切る。何か切り際に言ってた気がするがよくわからない。謝辞だろうか?照れるぜ。

スマホの電源を入れた際に移ったただ今の時刻は18:45。なんてこった鍋パーティが始まってしまう。私のおなかは猛烈に白菜としらたきを欲している。キムチ突っ込んで台無しにしてやってもいいな…豆腐は木綿だろうか。絹だとぐちゃぐちゃになるし、とりづらいので嫌です。

スピード出しすぎ注意だぞ、と傷だらけの赤い乗用車を一瞥しその場を後にする。風が強くなってきた。ぶるりと身震いすると24センチの積もった雪に一歩を踏み出した。

ザクリ、という小気味のいい音が風に乗って消えていった。