見出し画像

からほりまちアートepisode2

からほりまちアート実行委員会の運営スタッフになるまで、なってから。

大学卒業し、設計事務所で働く

大学卒業後、働いていたのは小さな設計事務所であった。所長は、大学に非常勤講師で、私の学生時代のことも知っている。
「あなたはまちづくり系」
「もう社会人なのだから“お手伝い”なら行く必要ない」
その頃は設計の仕事をこれからするし、お手伝いの何がいけないのか、わからなかった。どっぷり浸かると、仕事に支障が、あるのでは?と思っていた。
当日、からほりまちアートに関わる建築士の先輩方とは設計事務所を通して飲み会などで繋がりがあり、お会いする機会は何度なくあったし、設計事務所も谷町6丁目の2駅先の天満橋が最寄り駅だったので空堀にも行かなかったわけではない。
しかし、社会人1年目は、なにもわからないまま、ひたすら図面書いたり、2級建築士の試験があったりで、空堀で活動しようと思うに至らなかった。


大学卒業後の空堀との関わり

留学のため1年留年していた同級生の友人が、卒論などの関係で空堀と関わっていたこともあり、友人がお手伝いしていたイベントをのぞいたり、

萌オープニングのお手伝いをしたり、

商店街夏まつりのからほり倶楽部コーナーを手伝ったりは、していた。商店街夏祭りのお手伝いは設計事務所の同僚も巻き込むことになったけど…

(前述のお手伝い禁止とか言われていたけど、お手伝いというのがどういうことなのかよくわからんかったのもあったかも)


からほりまちアートへは、友人がスタッフだったので、遊びに行った。(第4回)
建築士の先輩達からも「お客さんじゃなくてスタッフでしょ!!」って言われ、このままでは巻き込まれてしまう!!ヤバイ!!という心境だった(笑)ので、次の年は、からほりまちアートには行く予定にしなかった、、、

数年後、修論を書くにあたり、スタッフ&卒論を書いた友人にヒアリングをしたら、大人の話が多くてあんまり覚えてなかったり、積極的に運営に携わってたな、という感じでもなかったので
(聞いた時点で、彼女が大学卒業後すぐ関西を離れ、結婚して関西に戻ってきて、7年経っていたし)
結構運営スタッフとしてかなりガッツリ20代後半を過ごしてきた私としては、あ、なんだ、そんな程度やったんか、ってちょっと肩透かしくらったことを覚えている。
おそらく、当時は運営スタッフが猫の手を借りたいほど少なくて、大学生に仕事を割り振るほど余裕がなかったんだろうな、とも思う。

運営スタッフへの誘い

次の年の第5回に至っては「巻き込まれるから、からほりまちアートには行かなかった」のだが、土曜日夜にからほりまちアート併催イベントとして、建築のトークイベントが行われることになり、(その日、仕事だったので)所長と同僚と連れ立って聞きに行くことになった。

トークイベントの後、一緒にトークを聞いていた、からほりまちアート運営スタッフの建築士の先輩も一緒に所長たちと飲みに行くことになった。
その時に、
「今年は無理でも来年やったらスタッフできるんじゃないの?」
と、言われ、1級建築士の受験資格のための実務経験もあと1年あるし(なぜか私の母校は3年実務必要だった)、同僚が試験に再チャレンジしている横で、呑気にするのも心苦しかったので、
「来年ならやりますよ」と引き受けたことが全ての始まり。

その後どっぷりまちアートのさなかに試験を受け続ける私、学科試験で1点足らずを3年連続などで全然受からない(結局、建築業界から離れたこともあり、2013年以降受験していない)。

誘ってくれた人は運営から退いていたので、逆に死ぬ気で勉強するためにはまちアートとか好きなことを一旦やめるべきだと言われる…(ええ~)

mixiコミュ

日本のSNS萌芽期、mixiというSNSが巷で流行り出した頃、私もmixiに登録することになった。
mixiには「コミュニティ」という、Facebookグループのようで、自由に参加できるファンの集いのようなページがあり、プロフィールを見れば参加コミュニティがその人となりを示している。
さて、私がmixiに登録した当時、「からほりまちアート」のコミュニティが作られていた。「好きだから作りました」と書いていて、肝虫さんという人が管理していた。何者かわからないけど、すでにコミュニティがあってラッキーくらいな感覚で、運営スタッフになる前から、からほりまちアートコミュニティにも登録していた。

画像1

まだあった!開設日2005年10月31日!

画像2



なんで来ないの?!え!

そんなこんなで、年が明け、「まちアートの打ち合わせはいつからやるんやろうか?連絡ないよなぁ」とか思っていた2006年の3月頃のことだった。
建築士の先輩Uさん(まちアートスタッフ)が主催するホームパーティにお邪魔した時に、「スタッフやる言うたのに何で来ないん?!」って言われて「連絡なかったら行けないですよ」って返したら、後日次のミーティングの日程の連絡が届き、初めてミーティングに行くことになる。

こんなポスターがあったことさえ覚えていなかった

画像3


改めてよろしくお願いします

初めて訪れた、第6回からほりまちアートのミーティングは、なぜか天満橋にあるドーンセンターだった。
空堀じゃないけどなんで??と思いながら、勤めていた設計事務所から徒歩圏だったので、近くでラッキーくらいに思っていた。部屋をとっていたわけではなく、地下のワークルームのようなところにスタッフらしき方々が集合していた。

そこには、建築士の先輩Uさんのほか、大学時代、練の調査でお世話になった和雑貨屋さんのオーナーKさんがおられ、少しほっとしたのを覚えている。他に、空堀でお店やギャラリーをされている方や、芸大生、クラフト作家さんなどもおられた。

そして、なぜワークルームだったのかというと、ここは、活動団体をサポートるすための、輪転機や折り機などを安く使うことができ、輪転機使ってスタッフ募集チラシを印刷するついでにミーティングをするためにドーンセンターで集まることになったようだ。

状況が良くつかめなかったけど、運営メンバーがほぼ総入れ替えになったり、新しいこととしてブログをはじめてみたり、色々と試行錯誤されているみたいだった。

すったもんだの第6回

第6回のからほりまちアートでは、比較的、時間を作ることができるメンバー(仕事に融通が利くとか、学生とか、残業すくなめとか)が多かったような気がする。…その後5年経つと状況は大きく変わる人もいるのだが。

アーティスト説明会からスタッフに加わったメンバーとか、mixiから興味をもってやってきたメンバーも加わっての交流会とか。思い起こせば懐かしいな。

第6回スタッフ

協賛から場所の交渉、アーティストとのやりとり、など基本的に特定の人が動き、進めていたので、自分はあまり関わっていなかった。

他に、過去作られてきたベニヤ製の看板が「重い」ということで、新しい看板を作る企画とか。竹と布を使った看板になった。直前まで完成しなくて、て前日にみんなで組み立てた。

第6回看板づくり

なぜか、私が作ることに?!

イラストレーター使えるか聞かれ、「少しなら使えます」と言ってしまったばっかりに、行っていない第5回の記録集を作ることになったw

たぶん、私が第6回でメインで動いていたのは、これとスタッフのマニュアル作り(前日の夜にチャットのようにメールしながら作った)だと思う。スタッフしたことのある人が少なすぎるからどうにかしたい!!というUさんのパワーに押された…。20代の若さだから??次の朝が当日なのに、明け方3時ぐらいまで作業して、ちゃんと時間通りに集合場所に行けた覚えがある。

印刷物はアナログで作ったことがあったので、何となく本の作り方みたいなのは知っていたけれど、イラレでどうやってやるとかあんまりわからんかった…ちょっとレイアウトする程度しかできなかったのが、本一冊作ったら、少しグレードアップできた(笑)

人と出会うことの面白さはここから

私がスタッフに関わったときに、スタッフが少ないから誰かに声を掛けてほしい、と言われ、思いついたのが「mixiのコミュ」「大学時代の先生」だった。まず、大学時代の先生には、「興味のある学生がいればスタッフに来てほしい」とメールをすると、3名のNさん、Iさん、Yくんがスタッフとして、卒業まで関わってくれた。

mixiのコミュニティには、スタッフ募集してます的書き込みをした。
その時にこの書き込みを見た管理人である肝虫さん、実行委員長にメールで詳細を連絡し、その次のミーティングに参加することになり、スタッフに合流となる。彼は、前年にスタッフに立候補したのに一向に連絡がない、という私と似たような状況…
(今思えば去年運営スタッフだった人が2人とかしかいないから、日常的に連絡することないし、覚えてなかったんやろな)

そして、mixiのコミュニティの管理人肝虫さんだということを知り、どうやら同じ学年だということがわかり、第7回からほりまちアート~は、一緒に副実行委員長することになり、現在も空堀の良き仲間として関わり合っている。(副実行委員長のくだりはまた別episodeで)

もちろん、ここで出会ったギャラリーオーナーのOさんは、空堀の母的存在で、Oさんが海外に行っている間に、住居兼ギャラリーの住居部分に住まわしてもらっていたり、そんなOさんに騙されてスタッフになったウェブデザイナーCちゃんとも長いお付き合いだったりする。

本当に色々な人がここに関わってきているである。

もちろん、縁が薄くなったり、切れている人もたくさんいるけれど、今でも縁の繋がっている人もいる。長い人で14,5年、短い人でも10年前後という…時のたつのが恐ろしい!!

事実として積みあがっている10年間まとめ

そういえば…

この第6回の当日、土曜日に財布落として、ものすっごいテンションダウンだった。(定期入れは別にしていたので帰れた)

次の日に、商店街のお寿司屋さん(もうやめられた七福神さん)が拾ってくれて、取りに行った。

サポートいただけると大変うれしいです! 空堀のお店に貢献するために使いたいです。