悩んでる時間ってイコール足踏みしている時間だって気づいた。

何者かになるのが怖くて、誰かに身勝手なレッテルを貼られたくなくて、目の前の責任から逃げていた。
どの道を選んでも、どの道を選ばなくても、何かしらの苦しみから逃れることはできない。悩んでる時間に何かが生み出されるわけでもないし、悩んでるから何も行動を起こさないのはただの言い訳にしかならない。そうしている間に自分の脳内が勝手に作り出す苦悶に囚われて盲目になっていくんだろう。
嫌だって叫ぶなら、自分が行動するしかない。あの人に言われてとか、あの人が鬱陶しいからとか、あの人と一緒ならとか、そういう期待も不満も怒りも悲しみも全部自分が作り出しているものだ。自分が主体的に真の強さを持つならば、他人に寛大になれるものだと思うから。
取り繕ってばかりいて、小綺麗に着飾ったりして、他人の目を気にして、将来に勝手に失望して、叶わなかった夢にしがみついて、でも結局自分からは行動に移さない、今の私は相当に醜い。
でもポジティブに考えるとしたら、休学という手段をとって有り余る時間を手に入れたからこそ、こうして自分の醜さに気づけたのだろうか。気づいたふりしてまだ見えていないところもたくさんあるのだろうけど。多分立ち止まる時間が13歳から今まで一度もなかったから、振り返ることなく社会のレールに流されるよりやっぱり良かったのかもしれない。というか、自分がした選択は自分で正解にしていかなきゃいけないよね。
私は絶対に傲慢にも自信過剰にもなりたくない。そういう人間になりたくない。死ぬまで一生謙虚でいたい。学歴とか、今までの功績は良き思い出として誇ってもいいと思うけど、いい意味で過去を切り捨てたい。朝目覚めれば、常に新しい自分でありたい。と、こんな機会だからここに理想を高々と掲げておくけど。
輝いている人を見ると、勇気をもらえる。小さな世界で丸く収まって依存しあうのはもうやめたい。私には無限の可能性が詰まっているって信じたい。でも行動に移さなかったら何も生まれないのは至極当たり前のこと。いくら過去のことで悩んでも、今までのやってきたことや過ごしてきた時間は取り返せないし、吐いた暴言も受けた傷も全部無かったことにはならない。苦しかったし、あの時こうしておけばって後悔ばかりに取り憑かれていた。でも結局それらを切り捨てることも受け入れることもできないのなら、とりあえず今できることを行動に移すしか、今を変えることはできない。

まず、カッコつける人生を辞める。
私は私らしく、泥臭く生きていく。

#日記

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