我が家からタオルが消えた日

月曜日、用事があって外に出た。おやつ時から夕食前までの短時間の外出。

帰ると鍵はあいているのに電気がついていない。まっくらだ。

現在私は両親と3人暮らし。
両親は家にいるはずなのに、なぜだろう。どうしたのだろう。
そう疑問に思いながらも、手洗い前に迂闊に家の中のあちこちに触るのも、と手を洗いうがいをして、荷物を置いて、やっとリビングに向かう。

なんだか不安があって、その間「ただいま」と言えずにいた。

リビングのテレビの前に布団が敷かれている。父が寝ていた。
(※普段そこに布団を敷くことはない)

その隣室、普段家族3人で川の字になって布団を敷く部屋——和室の襖をあければ、母が寝ていた。

小さく「ただいま」と声をかければ返事がある。
両親ともに37.5度の熱があるのだそうで。

「なんで別々に寝てるの?」と問えば、互いに隔離しているのだと。

リビングで寝ていたら隔離にならないのではなんてことも思ったけれど、
思えば「自分の部屋」として他の家族がなかなか足を踏み入れないエリアをもっていたのは娘の私だけだった。(我が家は部屋数が多くない)
父の仕事机はリビングのテレビの横にあるし、母の机は和室にある。
だから今、父はリビングのテレビの前で寝ているし、母は和室で寝ている。

母に「元気?」と問えば、「元気なら寝てない」と当たり前の返事をもらった。他になんと声をかければよいのかわからなかったのだ。
(普通に、大丈夫?と聞けばよかったのだろう)

母に「どこか痛いところはない?」と問われた。
自分には特に異常はなかったが、ふと今朝のことを思い出す。

この長い引きこもりの間に完全に板についてしまった朝寝坊をして、遅めの朝食を食べる私に母が聞いてきた。

「お腹痛くない?」

両親が二人してお腹を壊したようで、前日の食べ物に何か不具合があったのではと疑っていたようだ。特に私に異常はなかったけれど。

それが前触れだったのか?と母も父も、疑っているようだった。


2人揃って熱を出すなんて。


カタカナ3文字が脳裏に浮かんだ。


普段、洗面所・台所・トイレにはそれぞれ共用のタオルがかけてある。
「タオルは自分の使うようにして」と襖の向こうから母が言う。

帰宅後すぐに手を洗った時にはこんなことになっているなんて知らなくて、共用のタオルで手を拭いていたことに気が付いて、
「ならもう一回手を洗った方がいいよね!」と努めて明るい声で言った。

その日の夕食は、食卓テーブルを順番に使い、1人ずつ食べた。
現状何の症状もない私に、先に食べるようにと母が言った。当初は父がテーブルの少し離れた位置で一緒に食べようとしていたが、母に止められた。

「(同じ理屈なら)今日は私が一番風呂ってことか」と私はわざと少しおどけた口調で言った。

マスクをせずにうろうろする父を母が叱る。
母は、ちょうど一昨日完成した手製の白い布マスクをつけていた。
私はといえば母の友人が作ってれた可愛い柄の布マスクをつけていた。

帰った時には気が付かなかったが、食卓には見覚えのないアルコール除菌の(ミッフィーちゃんの絵が描かれた)ボトルとそれが入っていたのであろう箱が置いてある。
もう1か月以上前のことだが、遠方の叔父が送ってきてくれたものだった。叔父は、9年前の東日本大震災の時も色々と物資を送ってくれたっけ。

烏の行水のように一番風呂からさらっと出ると、次は「部屋片づけて布団敷く場所をつくっておいた方がいい」と言われる。予想はしていた。

これまで我が家では、和室——畳がある唯一の部屋——に3つ布団を並べて川の字で寝ていたが、流石に3分の2が熱を出している現状、3人並んで寝るつもりにはなれない。

自室に布団一式を運び終えた頃には、この非日常感に心躍らせてさえいた。まだ寝る時間でもないのに布団に横になってみる。

見上げるとそこには本棚。

画像1

コロナよりも地震が心配な枕元だった。


おっと話がそれてしまった。それはさておき。


翌朝、火曜日。また例のごとく遅起きをし、遅い朝食を食べて皿洗いをしてから気が付くのは台所の共用タオルが無いこと。

トイレのタオルも、洗面所のタオルも。

つまりは共用のタオルを置かないことで、うっかり使わないようにしているということだ。

ちなみに父も母も、もう熱は無いようで仕事をしていた(在宅の)。私も熱は無い。
父は月曜までは仕事に行っていたが、夕方に熱を出してからは1週間休んでいいと言われたそうな。母は2週間以上前から在宅勤務のため、火曜日も家でパソコンに向かっていた。

昼ご飯。母が和室で食べると言った——ローテーブルにバンダナを敷いて。
私もそれに倣って自室に昼食を運んだ——小さいテーブルに猫柄のバンダナを敷いて。

おやつの時間。普段ならリビングに集まって、コーヒーを飲みつつサスペンスドラマのラスト10分だけ見るという少し変わった習慣があったのだけれど、それもなくなった。父はリビング、母は和室、私は自室。

夜ご飯。父がつくったパスタを、父はリビング、母は和室、私は自室。

お風呂に湯をはろうとすると、今日はシャワーにしてと言われる。
これも感染予防、なのだろうか。湯船に浸からないというのは少し寂しいような気もする。

水曜日。昼ご飯は前日同様に自室に運んで食べた。
夜ご飯は大皿に盛られていて「取り分けてから運ぶのも……」と思い、食卓で3人揃って食べた。

少しずつ、警戒が解かれつつあるように感じた。

木・金、すっ飛ばして土曜日。

今じゃもうだいぶ普通の生活に戻った。食事は一緒に食べるし、おやつ時のラスト10分のサスペンスも一緒に見ている。

とはいえ、台所・トイレ・洗面所のタオルは未だ無いまま個々人のタオルを使っているし、寝る場所は別。お湯をはらずにシャワーで私が一番風呂。
その辺は変わらず続いている。

1日で熱が下がったもんだから、検査をするという話も特に出ない。
世間を騒がしているあの感染症は、熱が下がってから4.5日後にまた悪化するらしい?という話もあるので、まだ様子を見ているところではあるけれど、特に問題もなく過ごしている。

このままグラデーションのようにじわじわと、今までの生活に戻っていくのだろう。

結局のところ両親の熱が何だったのかは分からないが、この1週間弱の生活で分かったのは、家庭内の隔離って難しいねっていうそれだけのこと。


これだけ長々と書いておきながら、それだけのこと。


家庭内での隔離、できないことはない。色々と工夫できる余地はある。
けれど、見えないモノとの戦いというのは想像以上に神経が摩耗する。

もし両親がコロナだったら——月曜に外出した私は、知らず知らずのうちに外出先で他の人に感染を広げてしまってはいまいか。そもそも私が両親にうつした可能性はないのか。いや私はほとんど家からは出ていない。日曜日に3人で近所を散歩したのがいけなかったのだろうか。緊急事態宣言下でも散歩は制限されていないとはいえ、やはりダメだったのだろうか。

そんなことをぐるぐると考えた日々だった。

本当にそうなのか分からない。分からないからこそ、色々なことを想像した。怖いと思った。全く外に出ていなかったら、こんな風に思わなかったかもしれない。外出が制限されている中で外に出たという罪悪感のようなものが、疑心暗鬼が、暗く影を落としていた。

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