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NIKI『Nicole(ニコル)』を2022年アルバム・オブ・ザ・イヤー1位に選ぶ理由

Text by ラブムー

アルバム『Nicole(ニコル)』との出会いは偶然だった。
今年夏、Apple Musicの新作リリースアルバムをいつものように流し見ていたら、バストアップの女性のブレたジャケット画像が目に止まった。若干ホラー映画っぽいような……NIKI? ニキ?どこかで聞いたような……と思いつつ、無意識に1曲目を再生していた。

ふいに耳の中で一陣の風が吹き、あたたかいヴェールに包まれた気がした。静謐だが、心躍らせる音像が耳にこだましていく。それは川のように流れ続ける「今」を、もう1人の自分がずっと遠くから見つめているような——不思議なポップ・ソングだった。

ここまで読んでくださった方は「はいはい」と思われるかもしれない。ブラウザをそっと閉じてしまうかもしれない(もう閉じているかもしれない)。
でも、できればもう少しだけお付き合い頂きたい。ひとまず下のYouTubeリンクから、このアルバムの冒頭曲「Before」を流してみてほしい。流しつつ、もう少しだけお付き合い頂ければ幸いである(PVに目を奪われないよう、歌詞のみ表示されるリリック・ヴィデオ版を貼らせて頂く)。

話を戻そう。僕はこの「Before」という曲ですっかり「持っていかれて」しまった。狭い自室で『リングフィット・アドベンチャー』をぼんやりプレイしながら、いつのまにか『Nicole』を全曲聴き終えていた(ストリーミングメインの視聴ではたいていスキップしながら聴くから、こういうことは滅多にない)。
そうしてこのアルバムを2022年にリリースされた新譜——Arctic Monkeys『The Car』、Drake『Her Loss』、Wayes Blood『And In The Darkness, Hearts Aglow』、Alvvays『Blue Rev』など自分内年間ベストアルバムに入れたものの中でも圧倒的に数多く聴いた。1枚のアルバム、1人のアーティストをこれほど集中的に聴きこんだのはかなり久しぶりだ(James Blake『Overgrown』、Lana Del Rey『Norman Fucking Rockwell!』以来かもしれない)。

NIKIの3枚目にあたるアルバム『Nicole』について長い解説文を書くのは、日本ではおそらく自分が最初だろう。とくに自慢したいわけではなくて、事実なのだ。リリース時からしょっちゅう検索していたが、このアルバムについて書かれた日本語の記事を見たことはまだ一度もない。
しかし、これはかなり奇妙な事態ではある。NIKIはインドネシア、韓国、アメリカで相当の人気を獲得しているから。英語圏ではNMEやPitchforkを始め、多くの音楽メディアがNIKIのアルバムレビューを掲載しているが、日本における知名度は——同じ「NIKI」の名を持つ丹波仁希やラッパーのニッキー・ニコールと比べても——間違いなく低いだろう。

……と、ここまで書いてみたものの、自分はまだ途方に暮れ、書きあぐねている。このような書き方では、NIKIとこのアルバム『Nicole』の素晴らしさを伝えることは難しそうだ。なので、いったん仕切り直してみよう。

NIKI

NIKIはどんなミュージシャンか?

ひとまず、NIKIを知らない人に向けて、短めのバイオグラフィー紹介文を入れておきたい。
NIKI——Nicole Zefanya(ニコール・ゼファニャ)は、インドネシア・ジャカルタに生まれ、YouTubeに自作曲やカバーをアップすることで幼少期から注目されていた。そしてBlack Pinkメンバーがシングル「Spell」をSNSで推したことでインドネシア国内のみならず韓国でも火が点き、TikTokを中心に瞬く間に広がっていった。ご存知88Rising(アジアの先進的なR&Bアーティストが多く所属するレーベル)から2枚のアルバムをリリースし、今年は宇多田ヒカルらとともにコーチェラにも出演している(初めてコーチェラでパフォーマンスしたインドネシア人女性として認定された)。

88rising からリリースされたファースト・シングル『Indigo』の試聴回数は現在では1760万回を超えている。その他にも15歳にしてテイラー・スウィフト『Red Tour』でオープニング・アクトを務めたり、シングル曲「Every summertime」がマーベル映画『シャン・チー/テン・リングスの伝説』に使われたりと、目を引くディスコグラフィーにも不自由しない。

ただ、こうしたバイオグラフィーやキャリアは冒頭で述べたこのアルバム『Nicole』の素晴らしさとは無関係であるようにも思うのである。実際、自分は『Nicole』発売前にコーチェラのライブ配信で彼女のステージを観たが、その時は「いかにも今っぽいアジアン・R&Bシンガーだなあ……(ヒッキーまだかな……)」くらいの認識しか持たなかった。

『Nicole』の特異性

『Nicole』は彼女のバイオグラフィーにおいてもかなり特異なアルバムである(プレスリリースでNIKI本人もそう述べている)。
たしかにNIKIの過去作と聴き比べてみても、このアルバムは抜本的な何かが全く異なるように感じる。収録されている多くの楽曲は彼女が十代の頃に書き上げ、当時YouTubeにアップしたものを再レコーディングしたものらしく、これまで彼女がリリースした2枚のアルバムよりも遥かにシンプルで音数も少なく、歌詞もいかにも若々しいものが多い。

あなたはわたしを盲目にするばかりで 勇気を出すのは難しい
でも夜が昼に替わる時 あなたの愛が猛烈に欲しくなる
ラッキー・スターにたっぷり感謝しなきゃね

「Autumn」

『Nicole』の歌詞にはポリティカルなメッセージや強烈なエクスプリシット・コンテンツ(Eマーク)に該当するようなリリックはほとんどない。そのほとんどは十代の甘く苦い記憶。ルームシェアしていた友人に対する複雑な想い。フェイスブックで「友だちのまま」でいること。パートナーへのこんがらがった感情。幼少期の茫漠とした記憶。所謂「持ってる」若い女性の独白がほとんど言っても良いだろう。NIKIがリスペクトしているというフィービー・ブリジャーズやテイラー・スウィフトのようなスノビズムや今日性は——少なくとも表向きは——ほとんど感じられない。

ここでもう1曲だけ聴いて頂きたい。粒ぞろいのアルバム『Nicole』の中でも白眉と言える「Autumn」(こちらもリリック・ヴィデオを)。

「Autumn」は本作に通底するサウンドメイキングをもっとも象徴している曲であるように思う。このアルバムにはこれまで彼女のアルバムの多くを占めていたエレクトロR&B的なエレメンツも、トラップやフューチャーベースを想起させるような音色もない。といって、オリヴィア・ロドリゴのような王道ポップス路線でもなければ、NIKIの昨年のヒット曲「Halfway Weather」のようなギターポップ然とした方向性とも異なる。強いて言えば、『Red』『1989』の頃のテイラー・スウィフトに近いインディー・ポップ感を持ちつつ、浮遊感と静謐さに覆われたアンビエント・ポップというのが近い。

このアルバムを聴けば聴くほど、本作『Nicole』の奥に鳴っている音は、表面に流れている歌詞やメロディから幾分遊離しているように感じられる。それはあたかも遠くから現世を眺めているような眺望的、遠心的な音像だ。ストレートで普遍的な歌詞と、穏やかに凪いでいる海のような音像を持つこのアルバムは、欠如と焦燥のムードがデフォルトになっている現代音楽シーンでは異彩を放っているように思う。

個人的に、このアルバムに強い「異国性」を感じる(あまり使いたくない言葉ではあるが)。それは僕が自分の内でなんとなく定義していた日本や米国のポップ・ミュージックに「近くて、遠い」。あるいは「遠くて、近い」場所で鳴っている(そのように聴こえる)からなのだろう。持って回ったような書き方になってしまって申し訳ないのだが、このアルバムの不思議なシグネチャーを言葉で表すのはとても難しいのだ。

僕はこのアルバムに出会ってから、インドネシア同時代の音楽に俄然興味が出て、YouTubeやSpotifyで日々探して聴いていた。そうしてOscar Lolang、Endah N Rhesa、Rendy Pandugo、Gabriela Fernandezなど、興味深いミュージシャンを知ることができた。とくにAdhitia Sofyan(アディティア・ソフィアン)の曲に強く打たれた。内省的だがキャッチーで、心が澄むような、NIKIに通じる通奏低音を持つこのシンガーソングライターもぜひチェックしてみてほしい。

しかし、NIKIのようにコンテンポラリー、かつワールドワイドなサウンド——つまりは「アメリカからヨーロッパ、アジアのリスナーに一挙にリーチしそうな」ということだが——を持つミュージシャンは現時点では見当たらない。英Pitchforkなどでも高く評価された宇多田ヒカルの最新アルバム『BADモード』が或る領域においてはこれまでと変わらず日本的ムードとメンタリティ、時代の空気をたっぷり宿しているように、NIKIはインドネシアらしさ(なるもの)を保ったまま、米国的ポップ・ミュージックと自然に融合した音楽を目指し、そのオリジナリティは『Nicole』において開花したように思うのだ。

最後に。ここまで読んでくださった方にはぜひSpotifyやApple Musicでこのアルバム『Nicole』を通して聴いてみてほしい。スピーカーからの大きな音で、ヘッドフォンやイヤフォンで外を歩きながら聴いてみてほしい。フレッシュな音像とともに「ポップ・ミュージック」の普遍性なるものが感じられるはずだ。それは脈々と続いてきたインドネシアのポップ・ミュージックの最先端であり、その中でアメリカ・ヨーロッパの音楽を自然に摂取・撹拌してきたNIKIという希有なミュージシャンが生み出した歴史的成果でもある。このアルバムを、僕は迷わずに2022年の私的アルバム・オブ・ザ・イヤー1位に置く。

North America&Asiaツアーのチケットは即完売している(来年、日本での開催求む!)


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