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日記。ロック(6/9)の日

なんとなく体調が良いので最近の振り返りでも。

①紫陽花が咲いててもう梅雨
散歩を日課にしたいと思ってるけど、気づくと月日は流れ、あっという間に河川敷の草も夏らしく生き生きと生い茂っている。そんな季節。前来た時は桜の花びらと一緒に川で鴨が泳いでいたっけ。元気にしているだろうか。

②家が建ってきた
怒涛の打ち合わせから1年弱かかるのかと思ってたけど、もう折り返し。今はただ困惑しながら未来の我が家が形になるのを眺めてる。欲しいものを手に入れて終わりではなく、それをいかに維持していくのかが重要。そして維持することに価値を見出せるもののために努力できることが、たとえある程度苦労を伴うとしても、幸福なんじゃないかなと思っている。何に限らず。

③なりたい姿と実際目指せる姿は違う
「どんな医者を目指すのか」と退職を切り出した時に教授から聞かれた問いに自分なりにずっと考えていた。改めて聞かれるとすぐには答えられない。強いて言えば、そういうことを考える段階をすでに過ぎてしまったのかもしれない。それは自分自身の現状であったり、臨床をやる中で現実を見たからかもしれない。ただ、医者になった頃の情熱を無くした自分を責められているように感じるし、相手にそんな意図がないのにそう感じるのは自分自身の問題であってどうしようもない劣等感やコンプレックスで限界を感じている現状では、どう足掻いてもやはり去るしかないだろうと改めて感じたわけなのであって、こうやって皆仕事は給料を貰って生活していくためのものと割り切って生きていくのだろうと思った次第です。

④生き死には天のみぞ知る
1月に不妊治療の病院を変えてから子宮癌じゃね?いや良性だね?いや癌じゃね?というのを繰り返してもう半年になる。宙ぶらりんの状態で待たされる不安や苦痛を味わって、一周回って慣れた、というか飽きた半年だった。結局泣いても笑っても焦っても苦しんでも全部なるようにしかならないのだ。自分ができることなんてたかが知れている。思い通りにならないことの方が多いのだ。何を当たり前のことを、と責められるかも知れないけれど、そういう人は本当に欲しいもののための努力が実らずそれが何のせいでもなく責める先すらなく気持ちのやり場がない経験をしたことが果たしてあるのだろうか。その無力感に対するやるせなさや怒りを乗り越えられずとも当初のようにはとらわれずにほどほどに日常を送っていく、ある意味悩むことに飽きた状態になった自分はちょっとだけ成長したなと思ってる。逆にどうにもならないことをどうにかしようとすると何かしら歪みが出てしまう(病気になったり、人間関係が壊れたり)ので、そっちの簡単な道に流れなかった自分を自分でも偉いと思ってる。

⑤グッズ集めは楽しい
今思えば、上記の辛い状況を紛らわすかのように同時期にジョジョにどハマりしてキャラグッズも手当たり次第集めてた。お金を出してキャラに投資すると尚更愛情が深まることに気づいた。貢いでる、という気持ちになるからなのか・・・・?相手が3次元じゃなくて本当によかった。大方集め切ってしまったので寂しい。今は韓国ドラマ(ペントハウス)にハマってるけど、グッズ系がないのが残念。ペントハウスほどじゃないけど光る君へもハマってる。アクスタ出して!!

⑥今日はロックの日
朝からNACK5聞いてるけど、ずっとロック(6/9)の日ネタ話してる。ロックって概念よくわかんないよね。休日にラジオ聴きながら家事とか日記かけるって良いよね。ロックだね。

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