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【ネタバレ注意】『羊水に還る』に対する独自の物語 1/2


※柄シャツ男さんの創作写真集『羊水に還る』に対し、かなり独自の解釈をし、捏造しています※
※まだ写真集を見ていない方はネタバレにご注意ください※

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後藤大智の場合

きっと赤ちゃんのときから直感することが同じだったんだよ。物心がつく前からアイツの思ってることがわかるというか、わかるというより同じように感じているっていうか。何かを感じたり受け取ったり判断する心のヒダの形まで一緒だったようなさ、伝わる?これ。とにかく信じるという言葉を知る前から俺と同じだって信じて疑わなかった。子どもの頃の写真を見ると自分でもどっちが自分なのかわからないくらいそっくりだったけど性格は少し違ったんじゃない?俺の方がちょっとやんちゃというか社交的?だったような。ま、でもこれが俺でこれが裕司、って言えるほどの違いはなかったと自分でも思うくらい双子の中でも俺らはとくに似てると思うわ。

俺最近よく思うことがあるんだけど、今まで美香にさんざっぱら「言葉にしてくれないとわからない」って言われてきて、ウンウンそうだよなって適当に同意してきたけど、よく考えたら俺その感覚わかんないんだよね。言葉にしなくても全部わかる人間が一番身近にいたから。
いやだったら言葉はまったくいらなかったかって言われたらもちろんそうではないけど、言葉がない方が都合いいのになと思ったことは何度もあるよ。だって言葉ってざっくりしか表現できないじゃん。たとえば悲しいって単語の意味は、誰かが死んだときに感じる感情のこと、みたいに相場が決まってるけど、感情って本来もっと曖昧で微細で人それぞれ形が違うものじゃんか。感情をみんなで共有するために共通言語としてざっくりとした名前がつけられてるだけで。まあその細かな部分まで共有しようとするために人は語彙を増やしていくんだろうけど、俺らはその言葉にならない形まで同じだったし、言葉を介すると途端に伝わらなくなることも知ってた。ただ言語化するのが俺の方が早かったし得意だったから、他人に対してアイツの気持ちをいつも代弁してたな。そういう意味では俺を頼ってたと思う間違いなく。それが少しずつ変わったのは俺が美香を好きになってからだろうね。
美香を恋愛対象的に好きになるということをアイツは理解できなくて、そこから少しずつ言葉を使わなくてもわかりあうということがなくなっていった感じがする。まあでも俺は、貧相な言葉を尽くして美香を精一杯愛そうって決めたから結婚することにしたわけ。どう思ってるかはちゃんと聞いたことないけど、裕司も喜んでくれてるといいなと思う。

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後藤美香の場合

幼馴染の双子の弟と結婚したと言うと「どうしてそっちを選んだの?」って聞かれることが多いんですが、すごく失礼な質問だと思いませんか?

大ちゃんが“そっち”呼ばわりされるのも私が“選んだ”って思われるのも嫌なんです。たしかに2人は一卵性の双子で見た目はそっくりだけど、私にとっては全然別々の人間ですよ。双子でも別の人間だって、そりゃそうでしょと思うかもしれないけど、大ちゃんたちの周りにいた大人はどんなときも2人の共通点を見つけたがってたように思います。私には、「やっぱり双子なのよねえ」とか言って、自分たちにはない何か特別なものを見出したいだけのようにしか思えませんでした。
でも本当に、そう思うのも無理はないくらい子どもの頃の2人はそっくりで。大人になった今では仕事も生活も違うし、着る服も違うし、裕ちゃんなんてヒゲも生えてるし、って年を取って違いがでてきたけど、私が出会った小学生の頃なんか瓜二つすぎて私の両親はもちろん大ちゃんのお父さんもしょっちゅう間違えてましたもん。だから判別するためにランドセルの色を変えようとしたらしいんだけど、2人が絶対に同じ色がいいって言い張ったみたいです。服も同じものを着たがるから手をつないで登校する後ろ姿では誰もどっちがどっちだかわからなかったんじゃないかな。私も、言葉にできる確かなものはなかったけど、でも誰よりも大ちゃんたちの違いをわかっていたと思う、っていうのは言い過ぎかな。ふふ。

私が大ちゃんを意識し始めたのは実は明確な日があって。6年生のときに裕ちゃんが風邪を引いて休んだ日に大ちゃんと2人で学校から帰る途中で起こったことがきっかけなんです。高学年にもなると男女で一緒に帰るなんて照れくさい感じになってたけど、私の両親が共働きなので大ちゃんたちの家に帰って待つことが多くて。いつもの道を歩きながらふと、ザクロが赤くなってることに気づいたんです。ザクロを食べたことがなかったので、ほんとに美味しいのかなあってなんとなく言ったら、大ちゃんが枝もろくにないその木をスルスルっと登って取ってくれて。あのときはうれしかったなあ。裕ちゃんがいなくても私も大ちゃんにとって大事な人間なんだなって実感できたというか。そこから大ちゃんを一人の男の子として見るようになったんだと思います。だから選んだとかではなく自然と大ちゃんを好きになって、結婚に至ったのは必然的な成り行きだと私は感じてます。どうにもこうにも割れなくて、結局地面でたたき割って食べた真っ赤なザクロの甘酸っぱさが、今も忘れられないんです。

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後藤裕司の場合につづく

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