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【エッセイ】泣き虫ですが何か?

 大多数の人は、成人になる頃には大きな感動や強いショックでも受けない限り泣くことはまずないだろう。ところが、それに当てはまらない人もそれなりにいる。私もその一人だ。

 ちょっとキツイ言い方をしただけですぐ泣く人を見たことないだろうか。そういう人がよく言われるのは「泣けば何とかなると思っているのか」である。ただしそう投げかけられた本人は、泣きたくて泣いているわけではない。

 意思に関係なく勝手に涙が出てしまうのだ。余計に怒られることもわかっているし、自分に怒ってきた人を悪者にしようなどという気は毛頭ない。だから相手が、人を泣かせるやつだと周りから印象付けられるのは申し訳なく思う。

 ただ強い口調に泣くだけなら私が想定しているよりもっと多くの人が当てはまるだろう。さらに絞り込んで、優しい言葉をもらった人の悩みを聞いて泣く人はどれだけいるだろうか。

 優しい言葉もまあわからなくはないと思う。Twitterやインスタ、はたまたこのnoteにだって気に入ったら♡マークで投稿主に伝えられる。そうして承認欲求の塊のような人たちで溢れかえる時代になった。♡がもらえないと必要とされてないように感じ、承認欲求はさらに強くなる。そうすると、ちょっと優しい言葉をかけてもらうだけで心が満たされ、なく人がいる。

 だが、悩みを聞いて泣く人はどれだけいるだろう。

 誰々とこういう風になってケンカした、こういうことがあったんだけどどう思う? そんな言葉だけでボロボロ涙が出て止まらない。その情景が想像できてしまったり、その時の心情を何となく察したり、はたまた自分がそうだったらと考えて悲しくなってしまうから。

 だけど間違えないでほしい。そういう話をしないでほしいわけじゃないことを。確かに気分の良い内容ではないだろう。

 私たちが話を聞いて泣くのはそれが自分だったら悲しいからじゃない。

 想像して、その時あなたや相手が傷ついたと感じたから。苦しい思いをしたと感じたから。

 私には何もできないけれど、本当にそういう気持ちになったのかわからないけれど、本能的にそうなんじゃないかって思ってしまうから泣いてしまう。

 一つだけ欲を言うのなら、「あなたに私の何がわかる」なんて言わないで。

 当事者でもないのに考えただけで傷つくほどデリケートだから、どうか突き放さないでそういう人なんだと認知してほしい。

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