断絶について考えた一日の散文

今日は断絶(分断)について考えさせられる一日だった。

■エリートとヤンキーの断絶
マコなり社長のお話から。
ここでいうエリートとヤンキーとは…
エリート=自分の頭で理解し主体的に動こうとする人。変化を求める。
ヤンキー=理解できないことからは逃げる人。受け身で流される。変化を望まない。

ヤンキーは自分に壁を作ってしまう。
理解できないことは壁の中の見えないところから攻撃する。

この「壁」が断絶を生んでいるのではなかろうか、、

■東中野のラーメン屋「好日」
行きたかったラーメン屋が二店とも今日に限って休業で(いつもこのパターン。。)
しかたなく調べて良さそうなラーメン店は行列。
その後しばらく歩いて見つけたのがこの「好日」というラーメン店。

シンプルな醤油味でほのかな煮干しの香りが鼻から抜ける。
主張しすぎない優しい味ながら麺はうどんのようにコシがあり喉越しがいい。
幸せ。。
それ以上に印象的だったのが入店してから店を出るまでまるでストレスがなく心地よく過ごせる店内。
住宅街の中にあり店内も何の変哲もないのになぜだろう、、
あ、この店には心理的な「壁」がない。
入店から着席、接客、味、会計、退店、全てが分断されずスーッと流れている。
まさに気楽に入れるお店とはこのことだ。
女性が気軽に入れるお店=カフェのようなお店と捉えがちだが
このお店は真に女性が気軽に入れる感じがする。

■映画「わたしは分断を許さない」
分断は遠い世界の話ではなく身近にもある。対岸の火事ではない。
今でも東日本大震災で被害にあわれた方が帰る家もなく苦労されていること、生業を奪われて訴訟を起こして戦っている人がいることをどれほどの日本人が知っているか。

なぜ遠いシリアの現状を知らせようとしたか
という質問に対して安田純平さんの言葉が印象に残った。
「遠い場所のことを気にしなくなったらいずれ近くのことも気にしなくなる。人類は滅びます。」

電車の中で皆が携帯に夢中になりネットの世界に没入し他人のことは我関せずな光景を見ると
身近なところでも小さな分断は発生しているように感じる。

中国政府に抗議する香港市民とそれを取り締まるのも香港の人
戦争に反対する北朝鮮の学生と軍事力を増強する政府
国内でも様々な分断が生まれている。

シリアの人が「シリアの現状を世界に発信してくれようとしている」と堀さんの映像を守ってくれたシーンを見て気づいた。
発信したい人がいる限りそれを届けなければならない。
物理的な距離は関係なく気にしなければならない。

と思った。

辺野古の移転に反対している人が基地を見学したときの言葉
「米軍の基地に反対しているが、基地の中にいる人のことも自分は否定しているのだろうか」
色んな感情が入り混じったなんとも言えない表情が印象的だった
視点が変われば感じ方も変わるということだろうか…

■マルチアングル
豊田啓介氏×川田十夢氏の対談から
◎ボーダー予算
文化庁、環境省、経済それぞれが分断している。
横断するものにこそ予算をつけるべき→ボーダー予算
◎教育
問題「太郎さんがキャラメルを5個持ってます、花子さんがキャラメルを8個もってます」
合わせるといくつでしょう=数学の問題
数えることで傷つくのはどちらでしょう=道徳の問題
いろんな視点で問題を捉えることが重要
◎ツイッターの炎上
本来ある議論の全体から自分だけが勝てる土俵だけを切り取りそこでの正論を振り回す人が
あちこちに出てきて全体の議論にならない。

日本はその場繋ぎで文明も文化も終わってしまう。
高度成長期以来何をしていたか、何も残っていない。

とのこと。

■ミャンマー
国軍と太いパイプを持つと言われている日本政府に対して失望感が広がっている。
今こそ明確に日本の立場を表明して日本にしか出来ないことをすべきだ。

我々に何が出来るか。
まずは「気にする」ことだ。
「気にする」して掘り下げることで堀さんの言う「主語を小さくする」ことが出来るのではないか。


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