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「2021年宇宙の旅 モノリス _ウイルスとしての記憶、そしてニュー・ダーク・エイジの彼方へ」

今日は表参道でさすらいのアート鑑賞。

展覧会のコンセプト文

1968年に公開された『2001年宇宙の旅』は、人間とテクノロジーの関係、人類の進化をテーマにしたSF映画の金字塔である。物語は、猿人が謎の黒い石板「モノリス」に触れたことで道具を手にし、「ヒト」へと進化。やがて宇宙へ進出するまでに発展する。人類は「モノリス」の謎を解き明かそうと、初の有人木星探査に出発した。そんな旅の途中、宇宙船ディスカバリー号をコントロールしていたAI(人工知能)の「HAL9000」が乗組員に反乱を起こす。続編『2010年宇宙の旅』では、モノリスが電脳空間的であるとともにコンピュータ・ウイルス的であることが証明される。
この一本の映画で人類は未来へと旅立った。本展覧会では、映画の時代背景となった2001年から20年経過した2021年を迎える現代、「HAL9000」の夢、「モノリス」のヴィジョンとは何かを問い直し、そして、1980、90年代の電脳文化勃興を経て、「宇宙旅行」、「AIの反乱」、「非人間的な知性」、「人工的な進化」といった現代の諸問題を芸術作品によって探求していく。宇宙を閉じ込めたトポロジカルな『宇宙の罐詰』、縄文の時空間を宇宙的マトリクスへワープさせる装置としての作品、宇宙でも人間が生きられるように臓器の機能を拡張するために作品化したコルセット、市場から見捨てられたキャラクターがジュールベルヌのSFさながら月面を彷徨う映像作品、人間外の知性と生命を探求した作品、〈時空間の歪み=磁場〉の表象を内在させた作品、そして「月の裏側」という概念を永遠のメタファーとして存在論的問題を提示した作品によって2021年の新たなパースペクティヴから読解を試み問い質していく。我々はどこから来たのか、我々は何者か、そして我々はどこへいくのか・・・。  コロナ禍を迎えて絶対的な時間軸の崩壊と既存の価値観の転換が迫られている中、国際的に活躍し新たな作品に挑み続けている巨匠アニッシュ・カプーアからニューダークエイジの旗手ジェームズ・ブライドルまで9組のアーティストが参加することによって、キューブリックの『2001年宇宙の旅』の宇宙観から人新世の時代を迎えた現代における未来観を問い掛けていく。

ん?
読み直す。
んん?
また読み直して作品を見る前に時間だけが過ぎる。
何回読んでも難解。
早く作品を見たい気持ちと、ちゃんとコンセプトを理解したい気持ちのせめぎあい。
胃がムカムカ~!
解決方法!
「冒頭の紹介文はすっとばして作品見たあとに答え合わせ!!」
上記の紹介文の個人的に大事だと思う部分はこれだけ

・我々はどこから来たのか、我々は何者か、そして我々はどこへいくのか・・・。

は~いここテストにでまーす!
会場構成は3つに分かれていて
我々はどこから来たのか  →過去・誕生
我々は何者か       →現在・発見
そして我々はどこへいくのか→未来・創生
というイメージでしょうか。

つまり最初は宇宙っぽいな~から始まり
宇宙を発見したな~になり
最後は宇宙を俯瞰しているな~となります。

芸術はなんとなく難解なイメージがありますがどう感じるかが大切。
それぞれが自由に解釈すればいいということで勝手に解釈している次第です!

ここでさらにより理解を深めるには
「どこまで抽象化できるか」
が大切になります。

【人類は何から生まれた?】
神からと考えると抽象的だから「モノリス」という存在に具体化する。(最初の石の作品)

【時間というものは誰が定義付けをしているのか?(時計の作品/ダレン・アーモンド)】
アリも人類と同じ時間を感じているのか、人類と違う生命体は同じ時間軸を生きているだろうか。
そう思うと時間という概念も抽象的!切り取り方の違い。

【宇宙発見!】
人類が初めて月面着陸した頃はとてもアツい感じだったけどこれからはどうなのだろうか。
自分のアバターが仮想現実で宇宙を旅できるそんな時代が来るかもだけど、なぜか楽しそうに思えない。。
誰も到達しない場所に到達=楽しい
みんなが行けるようになる=飽きる

【飽きたので作ってしまおう!】
AI、アンドロイド、アバター…人類は神になったかのように新しい生命を生み出そうとしている。
そして人の臓器までも、、そのシュミレーションされた生成過程はキノコのようであり、タコのようであり
全ての生物に共通する。宇宙が臓器を生み出したとしたら臓器もまた宇宙!
うん、分からなくなってきた!w

最後のプロトエイリアン・プロジェクトという作品は一見意味がわからないが、
「惑星の生成を神的な視点で自分が見ている!」
ということなのだろう。

う~ん、人類はどこへ向かおうとしているのか考えさせられる。

最後に冒頭の紹介文に戻り
「コロナ禍を迎えて絶対的な時間軸の崩壊」とはなんぞや!
とモヤモヤしながら会場を後にしたが、揺られる電車の中でふと思ったことはコロナ禍で在宅となり、定時に電車に乗り定時に会社のある建物に入り定時に建物から出るという時間に縛られた環境とは違う時間軸を今生きているなと思った。

終わり

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