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小村雪岱スタイル@三井記念美術館

今回は三井記念美術館で開催されている「小村雪岱スタイル」を鑑賞した感想をお話したいと思います。
結論から言うと小村雪岱の絵は「日本画ではなく現代アートとして観る」ことがオススメです。
展覧会は明日18日で終了ですが、何かの参考になればと思います。

1.鑑賞のポイント

まず上げたいのは小村雪岱の考え方

芸術における真実とは、いふまでもなく真実らしさである。真実そのままの再現でなくて、真実の姿、真実のなかにかくれたその精神を端的に表現し、核心を描出することにある。
~中略~
ある点においては誇張し、ある点においては省略して、その嘘のなかに真実らしい姿を表現し、その気分をただよはすべきである。
-出典 : 小村雪岱『小村雪岱随筆集』

また会場の中盤に掲示されていた言葉

女性を描く場合、写生というものは決してしない。
写生をすると描けなくなる。
(上記は私の記憶なので実際の表現は違います)

現実の模写に重点を置かず自分の心にあるものを表現する。
そこが他の画家と一線を画す自由で新しい絵につながっていると考えます。
情報や知識が多すぎるとかえって動けなくなるということ改めて考えさせられます。

本題に戻って鑑賞のポイントは大きく3つ
①構図(視点)
②幾何学(規則的)
③余白(不規則)

①構図(視点)
ここが一番の観るべきポイントです。
雪岱は普通の人よりも上位の視点で物事を捉えています。
俯瞰した目線で捉えているのです。
メタ認知能力とでも言うのでしょうか、描きたい対象物がとても小さかったり、逆に大きく誇張されたり、または別の視点で描かれています。
例えるならばカメラのアングルを変えるような感じです。
雪岱の絵はオペラグラスで詳細を鑑賞するよりは一歩引いた目線で構図を楽しむのがオススメです。

②幾何学的(規則的)
大胆な構図で印象的なのが直線です。
画面の中に縦・横・斜めの直線が絶妙なバランスで横断しています。
例えば...

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畳や屋根の直線が印象的に描かれてますね。
でも印象的に描くという視点だけではなくどう切り取るかという部分のセンスが素敵なんです!
僕が撮った写真ですがなんでもない風景も切り取り方で印象が変わります。

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③余白(不規則)
雪岱の絵を見ていると「余白を作り出す」という表現は半分だけ当たっている感じがします。余白を作り出しているのではなく「切り取った結果余白があった」という表現のほうがしっくりくる気がします。
「余白がある」ってなんか矛盾してますね。
「作り出す=人工」的なものではなくより自然で意図したものでは無いものに近いとうい感じです。

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風景の一瞬を捉えた写真と似てますね。
絵画は余白に何かを加えることが出来ますが写真は意図しない余白が生まれます。

2.ソール・ライターとの共通点

小村雪岱の絵を見るとき似てるな~と思ってしまうのが写真家のソール・ライターです。
これは説明するより比べたほうが分かりやすい。

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二人の
「何気ない日常をきりとる」
という言葉も共通してるなと思う。

これって簡単そうでものすごく難しい。
カッコいいものを撮ろう(描こう)と思った瞬間に「着飾った」ものになり「何気ないもの」から遠ざかる。なのに彼らの作品はカッコよくセンスが良いのだ。
ソール・ライターの言葉の
「何を見るかではなくどう見るか」
を常に考えているのではないだろうか。

3.鑑賞後の所感

個人的には久しぶりに絵を見てゾクゾクっと鳥肌が立ちました。
ただ少し残念だったのがこの展覧会のテーマである小村雪岱スタイルとは何なのかが分かりづらい展示方法だったというところ。
三井記念美術館はとても雰囲気のある素敵な美術館なのだが、この美術館の雰囲気が雪岱の絵に権威的なものを与えてしまい「何気ない日常」から遠ざかっている気がした。簡素なギャラリーに現代アート風に展示したら面白いなと思った。
また自分が展示するなら...

・傘や雨、雪、植物、昆虫などテーマごとに展示する
・最後に小村雪岱スタイルに通じる工芸品が展示されていたが、雪岱の絵とごちゃまぜに展示してよりそのスタイルを明確に提示する
・あえて近くで観れないようにして構図を観てもらうような展示
・絵をもとに作成した模型の展示
 視点を示すことで小村雪岱の視点を追体験する

スタイルが分かるとまさに違った視点で絵を観ることが出来ます。
小村雪岱が美術館で絵を観るとしたら一つの作品ではなくその廻りの壁、さらには空間全体を俯瞰しながら観ているだろうな。
そう思いながら美術館を後にした。


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