99歳の家族が亡くなった記録 3日目葬儀編

疲れすぎてあまり覚えていないけど、覚えている範囲で記録しておきます。今回で終わりです。長めです。


昨夜は弟夫婦が泊まるので部屋を明け渡したので、僕が寝ずの番をすることになった。といっても円状の線香とか一晩中つけておけるクソデカ蝋燭もあるので、ただ棺が置かれている隣の居間のソファーで寝るだけなのだが。

とはいえ懸念材料があった。昼ごはんのことだ。普通の葬儀なら火葬場で昼食を取ったり、もしくは場所を変えて仕出しをとったりすると思うが、なにせ8名という小規模な葬儀なので自分たちで手配しなければならない。昨夜は寿司と焼き鳥を食べた。正直うまかった。過去の数少ない通夜の記憶と比較するとダントツ。だって自分が好きな店の料理をデリバリーしてるのだから。名前も聞いたことのないお店の仕出し弁当を食べる必要もない。しかし火葬の後に宅配ピザを頼むのはいかがなものだろう?俺は全然いい。でも出席者の過半数は世間的には高齢者に該当する。前日にはたらふく酒を飲んでいる。胃もたれしそう。そんなわけで弁当がベターに思えた。

というわけでまたしてもWoltで弁当を発注したのだが、やっぱり自分で買いに行くより4割くらい値段が高い。買いに行けば一人1000円くらいのそこそこの幕の内弁当。しかし宅配なので1400円くらいになる。俺の中の恩田すみれさんが暴れていた。

ろくに寝ていない割に元気だったので朝5時から「ぼっち・ざ・ろっく!」を見て、高齢者の世話をして、掃除をして、そんなこんなで朝ごはんを食べ、礼服に着替えた。自分は留守番役で火葬場には行かないので喪服じゃなくてもいいと言われていたのだが、せっかく仕立てたのでウキウキで着替えた。遺族のコスプレ、悪くない。母に褒められた。

8時過ぎに昨夜の老僧侶が来た。私の家の仏間はそこそこ広いと思うが、着替えのためのスペースが狭いとごねるおじいちゃん。金の刺繍が入った麒麟のような形をした袈裟を着ていて、確かにこのおじいちゃんには狭かったかもしれない。結局居間のスペースも提供してことなきを得た。

葬儀のお経は半分寝てたのであまり覚えてない。だって私は寝ずの番をしたのだから。

お経が終わり出棺。そして留守番。おじいちゃん僧侶の着替えと片付けを見守る。おじいちゃんなので動きが遅い。しかしどこまで手伝っていいのかわからない。言われたことと荷物持ちをして車に積み込み、見送った直後に起き忘れたメガネを発見した。お寺の事務に連絡するものの、おじいちゃんはお寺からの電話には一才応答しない。俺はこの老僧侶がどんどん好きになっている。今後再会できる日が来るのだろうか。メガネは別の僧侶に預けた。

そのあとは掃除、洗濯、それから高齢者の世話。姉妹なのでさすがに参っている。と思いきやお客が帰ったらおやつをむしゃむしゃ食べていたのでわりと元気。ものも言わず、また記憶もおぼつかない年齢の人たちの世界は一体どうなっているのだろうか。僕には知る由もないが、涙を拭う仕草を見せたり、かと思えば羊羹を美味しそうに食べたり。甥や孫(みたいなもの)に会えて笑顔を見せたり。悲しみと喜び両方がやってくるのが葬儀というセレモニーの特徴だと思う。

Woltから弁当が届き、なんか味噌汁も食べたくなったので鰹出汁の味噌汁を作り、昨夜の残った焼き鳥をレンジで温め、きゅうりの浅漬けを出したりしていたら火葬組が帰ってきた。遺骨はしっかりしていたとのこと。骨粗鬆症の治療は功を奏していたようだ。毎月処置してくれた看護師の方にお礼を言いに行きたい。

ご飯の時になんとなく「孤独のグルメ」を流したらみんな釘付けで3本くらい見ていた。みんな五郎さんが好きすぎる。

そのあとは骨揚げのお経。通夜や葬式とは別の、顔見知りの人が来た。いい意味で普通のお経を唱えてくれて場が締まった。

葬儀屋の方の仕事ぶりは大変見事で助かった。プロはすごい。ずんの飯尾さんに似ていたので心のなかで「飯尾さん」と呼んでいた。

叔父夫婦、弟夫婦が帰路に着き、私は畳の上で寝っ転がる。数日前までに介護用ベッドが置かれていた場所。昇降機能は一度も使わずに自分で立って歩いていた99歳は幸せな人生だったのだろうか。ひどい喧嘩もしたけれど、一緒にコーヒーを飲んでよくアイスモナカを食べた。「真田丸」と「鎌倉殿の13人」も一緒に一気見した。U-NEXTに入って「半沢直樹」も再見させてあげればよかった。後悔がないわけではない。

だけど畳の上で寝っ転がった時に、何も考えられないくらい疲れて少し寝た。私はがんばったと思う。寂しさもあるけれど、今は晴れやかな気分だ。




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