気付けば20歳を越え、人生の別れ道に立っている。
過去を振り返ると、私はとても狭い世界で生きてきたんだなと感じた。

「ゲーム」「部活」

私を表す言葉はこれしかない。
執着とは怖いものだ。
気付かずうちに、1つのことしか見えなくなって、突然放り出される。

私にはなにも残っていない。
努力したと自信を持って言い切れるものがないからだ。
全てなんとなくで生きてきた。

他人に身を任せ、その道を歩むことを全力で楽しんだ。
自分が自分の中にいないのだ。
自分は人の中にいる。

今日はこの人。明日はあの人。
そうやって生きてきた。
その結果、なにもない自分が生まれた。

人間というのは、理不尽なもので歳をとると修正しづらくなる。
私が自分がないということに気付いたのは、別れ道に立ったときだった。

今までは周りの人に合わせて、道を選択することで生きていけた。
しかし、この別れ道は自分一人で選択をしないといけない。
私は一人になると途端になにも出来なくなった。

周りを見渡しても、みんなもそれぞれ分岐点に立っている。
もちろん別々の。誰一人被ることのない分岐点。

私はとにかく人を頼った。
自分とはなにか。自分ってなんなのか。自分の存在意義とは。

案の定、どれもしっくりこない。
だって、自分の中に自分がないから。
周りの人に「あなたはこんな人だよ」「こんないいところがあるよ」と言われても素直に受け止めることができない。
その時の私の行動は、周りの人に憑依した時に自分が下した判断だからだ。
どうすれば人が離れて行かず、ずっと側にいてくれるかだけを意識してきた。

私は周りに人がいないと存在しないようなもの。
近くに人が来るとその人に憑依し、その人にとって最高の相方を演じる。
周りに複数にいるときは、困る。同時に複数人にとって最高の相方を演じることができないからだ。

人になりたい。
一人の人になりたい。
人としての人生を歩みたい。
人生は人が歩むものだ。

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