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序文と顛末、そして邂逅

どうもこんにちは。

 高校を卒業するまで作文というものを一切書いたことがなかった世紀の文盲、ピトーと申します。ほんの少しでも、皆様の暇つぶしになれればと思い、これから我儘を書き連ねていく所存です。

 最終目標としては、2000字くらいをコンスタントにポンポンと書いていけるようになりたいと思うので、執筆と言ったら大袈裟ですが、文字コンテンツ作成の練習も兼ねているということで大目に見て下さい。インプット作業も頑張りたい所ではあります、あるんですが・・・時間があるかはやってみなければ分からないですね。

 まぁこんな言い訳がましい自己紹介なんて誰も見たくはないと思うので挨拶はこんなところにして、今回は最初にも書いた「高校を卒業するまで作文というものを一切書いたことがなかった」言語が生まれる前の原始人のような人間が、どのように人並み程度には文章を作成出来るようになったかをつらつらと書いていこうと思う。

 大方の人にとって、「〇〇をしたことがない」というのは、そもそもしようと思った事がないか、しようと思ったが出来ないか、どちらかに分類されるものかと思うが、作文の場合俺は完全に後者。作文は学校に通う人にとって避けて通れぬ道だし、しようと思ったことがないということはあまりないだろう。(誰だってそう、僕だってそうなんだ。)

 学校の作文と言えば真っ先に夏休みの宿題の定番、読書感想文を思い浮かべる人も多いのではないだろうか。
 別に何を書いても怒られやしない小学校の宿題、文章作成の序盤の序盤のさらにチュートリアルとも言うべき読書感想文。母の胎内に文章力というものをそっくりそのまま置いてきてしまった俺は、まずその時点で躓いた。そもそも何を書いて良いのか分からないのだ。分からないものは分からない、何が分からないのかも分からないし、何で書けないのかも分からない。
 そんな状態で無慈悲にも夏休みは終わり、マジ無理、リスケシテ。という願いも届かず、新学期を迎える。当然、読書感想文は提出不可。だって書いてないんだもん。そんな事を特に反省もなく中学3年生まで続けた。そう、誰かを傷つけたとしても、その度ココロ痛めるような時代ではないのだ。

 そんなこんなで高校生。高校生になると小論文というものが出てくる。あれは辛かった。そりゃそうだ、読書感想文すら一文字も書けないんだから。例えて言うなら、まだ教習所にすら通っていないのに鈴鹿サーキットに連れていかれるような感覚だ。
 それでも俺は書かない、男に二言は無い。徹頭徹尾、書かなかった。よく卒業できたもんだと自分でも思う。一念岩をも通すのだ。

 ただこんな俺でも、作文を書いたことが2度ほどあるかもしれない。受験と卒業論文。そこでは流石に書いたと思う、書いた気がする。いまいち覚えてないけど・・・。

 文章というものに対して逃げの一手を打ち続け、月日は流れ、そして社会人となる。そこで初めて大きな壁にぶつかった。
 どうやら、『文章が書けない人間は出世できない』っぽい。
 信じたくはないが事実だった。文章を書けないと、誰かに何かを伝えるという事が出来ないシステムなのだ。どんな素晴らしい企画を思いついても伝わらない、どんな素晴らしい結果を出してもアピールできない。これは企業に勤める人として致命的だ。俺は早くエビスビールを金を気にせず常飲できるようになりたいんだ。

 そこから文章力向上の地道な修行が始まった。
 世はSNS黎明期。とあるSNSで毎日毎日、一日も欠かさず文章を書く。内容はどうでも良い、とにかくひたすらにひたむきに書く、書き続ける。それは日記のような物でもあり、時には何かの考証のような物でもあり、さらには一人の人間のこれまでの禊でもあった。
 格好よく言ったが、要はこれまでのツケを清算する壮大な反省文だ。自分のケツをひたすら拭う作業、そびえたつ巨大な糞と一緒。ちょっと位の汚れ物ならば残さずに全部食べてやる。・・・が、胸やけはする。そんな事を2年間ほど続けた。思い返してみてもなかなかの労力だと思うが、それでも丸刈りにされなかっただけマシなのだ。

 最初は書き出しすらままならなかった俺は、とりあえず「文体を模写する」ことから始めた。幸いなことに、文を書くことは苦手であり嫌いであったが、文を読むことは好きだったので、小学生の頃から小説はそれなりに読んでいた。好きな作家の文章構成を分析し、どんどん書いた。所謂パクリだ。テーマは「長く、早く」。短くて遅いイチモツを持つ俺にとっては大それたテーマだ。
 最初はそれこそ拙い、小学生にも劣るような文章だったが、ひたすら模倣を続けると不思議と自分の文章スタイルが出来上がっていくもので。1年経つ頃には、俺の文章を面白いと言ってくれる人も現れ始め、それなりの成果は出せたんじゃないかと思う。
 
 こうして2年間を過ごし、人並みには文章を書けるようになったが、弊害もあった。長文癖がついてしまったのだ。とにかく文章が長い、何でもかんでも長い。企画書などは長くても良いのだが、日々の報告書などはそれでは逆に伝わらない。
 「人は基本的に三行目までしか読まない」という事を知った俺は、今度は伝えたいことをなるべく短くコンパクトにする修行をした。そう、Twitterだ。これはノーフォロワーで半年ほど続けた。

 地道に文章を書き続けて、その結果、仕事の成果も付いてきた。文章力がつき、いつの間にか仕事が出来るという評価になっていた。直属の上司以外の目に触れるのは報告書や企画書などの文章がほぼ全てだ。日々の行動が逐一伝えられるワケもなく、文章でしか自分を査収してくれない。
 とにかく、最初はどんな物でも良いのでやり続けるのが肝要。技術は後から勝手に付いてくる。そういう事を教えてくれる出来事だった。

 そして現在、拙いながらも文章を書けるようになって本当に良かったと心から思っている。1000人規模のとある組織の長に就任する事になり、文章を書く機会がさらに増えたからだ。何という巡り合わせというか、人生何が役に立つか分からない。

 もしこのnoteを読んだ人で文章を書けなくて困っている人がいたら、試しにやってみてほしい。
①好きな作家、小説を見つける
②文体を真似して何でも良いからとりあえず書いてみる
③なるべく毎日続ける
④文章をできるだけ長く書いていくようにする
 順番にやっていけば、3ヶ月もしないうちに効果を実感できるはず。「自分には出来ない」は単なる思い込みだ、知らぬ間に築いてた自分らしさの檻だ。

 何故かネットのハウツー記事みたいになってしまったけど、これからnoteを書いていくにあたり、自分のルーツを文字起こししてみるのも大切かと思い書いてみた。俺の顛末と、結果の邂逅だ。

 皆様に素敵な活字ライフが訪れますように・・・。


【Twitterアカウント】ピトー@白猫風味

https://twitter.com/pitouneferpitou


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