これまでの人生④~今現在(変化)

小学校の学童保育という場所で、僕は、子どもからたくさんの好意を、愛情を向けてもらったと勝手に思っている。色で言うと、学童保育という場所は、僕にとってピンクと黄色の空間だった。僕は、昔から好意を向けられるのが苦手だった。どうせ僕のことなんかいつかは嫌いになるでしょ、という感情が常にあった。人から変な目で見られることが怖かった。公共の場でもパニック発作は起こるので、そういう時の人の視線を気にしていた。人からどう思われるのか、人が何を気にするのか、人の何々が常に気になっていた。自分を大切にしていなかったのだと思う。そんな僕に対して子どもはとても暖かかった。

子どもは神様ではないけれど、宝だと思う。子どもの目は、大人の心を見ているようだった。大人のように、色々と削られていない子どもの目や心というのは、とても素敵だと思う。いつものように、好意の苦手な僕が、子どもの好意を跳ね返しても、また数十分後には同じ好意を向けてくれた。毎日がその連続だった。だんだんと素直に好意を受け取れるようになってきた。もちろん、子どもとの関係の全てが綺麗な関係だけではなく、時には怒ったり、悲しんだり、苦しんだり、色々あった。それでも、子どもが向けてくれる暖かさや元気は、僕には十分過ぎた。本当に子どもに対して感謝の気持ちを抱き始めた頃、思ったことがあった。僕はその時、体重は88キロで、部屋はとても汚いし、面倒くさいことはやりたくないし、人のせいにするし、だらしないし、色々ダメなのに、子どもには偉そうなことを言っていた。「おやつの前にはいただきますを言いなさい」とか「人に迷惑をかけるようなことは止めなさい」とか「頑張りなさい」とか「努力しなさい」とか「友達を大切にしなさい」とか「いじめは止めなさい」など、他にもたくさん。そして、そのすべての言葉がブーメランのように自分に返ってきた。じゃあ自分はいったいどうなんだろう?と本気で考えるようになった。これまでの人生は、心の病気のせいにしたり、薬のせいにしたり、人のせいにしたり、目の前の現実と向き合おうとしてこなかったのではないか。色々な不都合から逃げてきた人生ではないか。自分に対して、初めて怒りのような感情を抱いた。そして、心の底から、本気で変わりたいと思った。自分が変わった姿を子ども達に見せたいと思った。そこで、一番自分の要素として対極にあり、過酷なものに挑戦しようと思った。それが僕にとってはボクシングだった。中途半端にやるのは嫌だったのでプロボクサー志望でボクシングジムに入会した。僕にとっては大きな挑戦だった。

プロボクサー志望の人間は、基本的に毎日ジムに行くのが決まりだった。ジムが怖かった。けど絶対に自分に納得できるまで辞めるつもりはなかった。一度、スパーリングをした時、左目の下に当たったパンチが原因で、一週間左目から頬にかけての感覚がなくなったことがあった。検査にも行ったが、特に異常はなかった。不安だったので、ジムの先輩に相談したら「あー、大丈夫大丈夫。俺なんかいつもどっかしら顔が麻痺ってるから」と返事を頂いた。相談する相手を間違えた。でも、あれこれ考えてるのがバカバカしく思えた。

リングの上で、パニックになることも多々あった。下半身から冷や汗がダラダラと垂れるのがわかった。ボクシング鬱のような症状にもなった。でも絶対に、辞めるという選択肢はなかった。この恐怖と向き合うために、自分自身と向き合うために、そして、自分に勝つためにはどうすればいいのか色々と考えた。強い人を目で追った。強い人の動画をたくさん見た。すると、色々と発見があった。どんな時も苦しそうな表情をしないこと、試合に入るまでの動作が落ち着いていること、ゆったりしていることなどなど。「興奮しそうな時ほど、冷静でいるように心がけている」と答えてくれた先輩がいた。だんだんと何が僕に足りないのかがわかってきた。そして、それは、理性なのだとわかった。そのたった二文字にたどり着いてから、そのたった二文字と、今まで生きてきた27年間の自分の考えが合致し、確信のようなものを得た気がした。この理性という二文字に至ってからが、オセロの盤面が変わるように、僕の日常生活から全てが変わるきっかけとなった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?