これまでの人生③〜社会人

大学は自由で楽しかった。友達もできた。立教大学に入れて良かったと思った。ただ、立教大学は自分の肌には合っていなかった。まぁ、そんなことを思っている大学生はたくさんいると思う。大学時代の一番の思い出は、大学2、3年生の夏休みに、それぞれアメリカに留学に行ったことだった。友達には「外国の雰囲気を肌で感じたいから」なんて、行く理由を話していたが、本当は自分の弱さと向き合いたいからだった。自信をつけたいからだった。留学に行く前の気持ちは、飛行機も怖かったし、遠い外国の地でパニックになったらという不安、何かトラブルに遭遇したらという不安、さまざまな不安を抱えていた。薬を大量に持っていった。なんでこんな不安な思いを抱えて行くんだろうと心の中で思っていた。ただ、この2回のアメリカ留学は、自分の自信になった。僕にとっては大きな挑戦だった。

大学時代に、生活困窮家庭の学習支援事業のボランティアに参加していた。心の病院の先生が、「心の病は貧困の問題でもある」と言っていたこともあり興味があった。そこには、小中学校の子どもがいた。彼ら彼女らは、隠れている子たちだし、自ら隠している子たちだなと思った。ボランティアは他にも、重症身体障害者施設でも行なっていた。
僕が学習支援事業のボランティアとして参加していた団体が、市町村の「業者選択」に関する一般競争入札というかたちで塾産業T社に変わった。そのようなご縁があり、大学卒業後はT社に営業職として入社した。2ヶ月の研修後、大阪へ配属になった。仕事内容は、会社へお問い合わせを頂いたご家庭に訪問し、入会していただき、その後教師を選別し、入会していただいたご家庭へ教師を派遣するというものだった。この業務以外にも、学習塾の運営と行政(市から委託を受けての学習支援)を担当していた。ひたすら目標数字を追っていた。このT社での様々な経験は僕にとって本当に貴重だ。色々な世界を見れたし感じれた。当時は苦しかったが、今となっては感謝しかない。結果的に2年と2ヶ月でこのT社を退職した。退職時には、入社時と比べ体重は12キロ増えていた。心を擦り減らして働いていた。服用する薬の量が増えていた。ここでも、たくさんの言い訳をしていた。

T社退職後の転職活動はスムーズにいった。小学校の学童保育という仕事があると知人から紹介してもらった。そして、ここで、後に僕の人生を大きく変えてくれる子ども達と出会うのだった。👦👧



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