これまでの人生〜小学生まで

幼稚園の頃から、周りが楽しそうに遊んでいるものを自分が楽しいと思えることが少なかった。ポケモンごっこの何が楽しいのか理解できなかった。ただ、何かをひたすら考えている子だった。人を常にじっと見ている子だった。考えすぎて、知恵熱で月に一回は必ず幼稚園を休んでいた。

小学校にあがると、野球をやり始めた。それが自信となった。でも相変わらず何かを常に考える癖はあり、頭がいっぱいだった。人に「ねー、今何を考えている?」と聞いて回る子だった。食べる前の手を洗う時「どのくらい手を洗えばいいの?」と先生に聞いていた。食べ物を食べる際「何回噛んだら飲み込むの?飲み込むタイミングがわからない」と友達に聞いていた。小学3年生のある日、その日は習い事の少林寺拳法の帰りだった。そして、少林寺拳法の関東大会の前日でもあった。その時初めてパニック発作が起きた。緊張と不安と、父親からの様々な期待と重圧で頭がパンクしたのだと思う。それ以降は、その時のパニックの恐怖から「またなったらどうしよう...」が常に脳内に付きまとうようになった。

僕にとって父親は大きな存在だった。父親の思いが優先で、自分からしたいと思うことをやることはなかった。野球も少林寺拳法もやりたくなかった。ほんとはピアノを弾きたかった。とても優しい父親だと思う。当時から僕は父親の愛情をとても感じていた。でも、それが、本当に苦しかった。大きすぎる愛情は、支配欲になってしまうのだと思う。

小学生の頃、いつだったかは忘れたが、学校でパニックが起きた。過呼吸になってしまい、先生に「息苦しい、死にそう」と言ったことがあった。すると先生から、「とても気持ちが悪い」というような目をされた。目は、人を殺せると思う。普段優しいことを言ってくれるくせに、肝心な、ほんとに助けてほしい時にはそういう目をするんだなと思った。自分の理解できる、受け止められる範囲内のことには、人は寛容に優しさを向けられるのだと思う。しかし、その枠から外れると拒絶を示すのだ。大人ってなんだろうと思った。学校に行くことがなかなか難しくなっていた。綺麗事が大嫌いになった。そして、小学6年生になった辺りから、二駅分隣の精神病院に通い始めた。パニック障害と診断された。薬ももらうようになった。薬が安心感を与えてくれた。ほんとに効き目があるのかはわからなかった。でも薬があると安心できた。

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