私たちは一時仲間、ほんとはいつも仲間

今年はオリンピック!スポーツ観戦で私たちは熱狂的に。熱狂的になれず、なぜかいつも冷静になってしまう僕は人生をあまり楽しめていないのかも(笑)

スポーツというものは、私たちにナショナリズムを感じさせる。それはなぜなのか。対戦相手がいることで、敵味方意識が働いて、一体感が生まれるのか。スポーツは人の心を動かすものだから、心の底では繋がっている自国民の意識が顕在化するのか。心を殺して生きている人はなおさらか。一時の処方箋。しかし終わればまた日常。寂しい。

スポーツ観戦の最中は、使われる言葉も、境界を引くような言葉が多いように思う。応援団が、チームを応援する歌を唱えると、すぐそれだとわかる。逆に相手方の応援歌もすぐそれだとわかる。オリンピックでは日本を応援する応援歌を日本中に唱えられることになるだろうか。オリンピックの最中は、日本国内には境界はなくなるのかもしれない。しかし終わればまた日常。寂しい。

オリンピックの最中だけではなく、本当はずっと日本中が一体感に包まれていたい。でも内と外を分けるような言動はどこかしこ常日頃から頻繁に用いられる。だから息苦しい。みんな何かを恐れているんだろうか。

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