料理が苦手だ

料理が苦手だ。
ADHDは家事が苦手だと言われている。私も御多分に漏れずそうだが、特に料理が苦手だ。

うちは母子家庭で、母は働いている。母が帰ってくるのは夕飯時に少し遅いくらいで、そこから母が夕飯を作る。
ときどき、母が帰ってくるのが遅い時がある。そういう時は、私は自分で何か作って食べなくてはならない。それがどうしても嫌だった。だから、作りも食べもせずにじっと待っている。そうすると、母からぶたれて、そして、母が文句を言いながら料理をして、夕飯になるのだ。

母と共に料理をすると、私はいつもミスをする。
たとえば、ピーマンを切っておいて、と言いつけられる。私はピーマンを適当に輪切りにする。すると、「青椒肉絲にするんだから、細切りに決まってるでしょ、なんで輪切りなんかにするの!!」と怒鳴られる。たしかに、母は隣でたけのこを切っているし、調理場には青椒肉絲の素が置いてある。青椒肉絲なのは推測できることだ。わたしは小さくごめんなさいと言う。
たとえば、枝豆を茹でておいて、と言いつけられる。私は枝豆の茹で加減がわからなくて、ぐつぐつ煮立つ鍋の前で棒立ちになる。「茹ですぎでしょ、ばかじゃないの」そういう母が隣から鍋をさらって、洗い場のザルにあける。そのザルも私が用意したわけではない。手際が悪いとまた責められる。
たとえば、じゃがいもの皮を剥いておいて、と言いつけられる。ちまちまと剥いて、どうにか全部やり遂げたとき、母が言うのは「どれだけ時間がかかるの。そんなにかかってたら朝になっちゃうよ」だ。
そういうことが重なって、私は母の前で料理を作る時、手が震えるようになった。そのぶんまたミスが増えて、また怒られる。

では、母がいなければ料理ができるのかといえば、それも否だ。
材料が揃っていてレシピ本もあって道具も時間もある、というような理想的な状況なら、作れる。だが、実際には、冷蔵庫の中身は偏っている。母が買い込んできた食料の中から、賞味期限の近いものを選び出し、それを組み合わせて料理を作る。賞味期限に余裕のあるものを使えば嫌味を言われる。野菜などは買った時期も何もわからない。それでも、ちゃんとみればわかるでしょう、という言葉とともに、古いほうを先に食べなかったと責められる。

昔、母が早く帰ってきて寝込んだことがあった。夕飯はあんたたちで食べなさいと言われた。その時の私は張り切って、オムライスを人数分作った。それに返ってきた言葉は「病人にオムライスって、考えれば無理なのわかるでしょう」だ。その通りだ。考えが足りなかった。あれ以来、凝った料理を作るのは嫌になった。作っても意味がない。とりあえず焼いておけば食えるのだから。

それに、炊事場は危険が多い。死が近い。それは、希死念慮の呼び水になる。
包丁を持てば、自分の腹を切り裂く想像が浮かぶ。フライパンを熱しながら、ここに顔面をじゅうっと押し当てる幻想にかられる。揚げ物など、油を頭からかぶって死ぬ光景ばかりが頭から離れない。
最近はあまり感じなくなった希死念慮が、炊事場ではこんなにも近い。だから、できればキッチンに入りたくない。でもそんなことは母に言えないから、黙って包丁を持つことになる。

それだけ料理が嫌いで、そうなると食べることもあまり好きではなくなる。何を食べても変わらず美味しくない。しかし、吐くことはできない。「食べ物を無駄にするんじゃありません」という規則は骨の髄まで染み付いている。吐ければ楽なのにと思うが、吐けない。

そうやって料理が嫌いだから、料理をしなければならないときもぞんざいになる。ぞんざいに扱えば、不味いものが出来上がる。また怒られて料理が嫌いになる。悪循環だ。

何も食べたくないのに、腹が減る。生きているから腹が減る。穀潰しのくせに。腹が減るのがいけない。生きているのがいけない。甘えてばかりの私がいけない。

一人暮らしになったら、完全栄養食とかサプリとかで生きていけないかなあ。


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