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【宝石の国】アレキサンドライトが唯一フォスの復讐心に共感し、協力し、諭す理由は?実は「復讐」に関しては一番の理解者なのでは?感想と考察と仏教と解説【ピスケット / Piscuit】

みなさんこんにちは、ピースケです。
本日は仏教的なテーマが多くモチーフになっていると言われている、市川春子さんの漫画「宝石の国」についてお話したいと思います。この漫画は、人の姿をした宝石たちが、月からやってくる敵・月人と戦うという物語です。
今回は研究オタクで有名なアレキちゃんに焦点を絞って解説していきたいと思います。

まずは前提となる状況を整理してみましょう。
アレキサンドライト(通称:アレキ)という宝石は、月人にクリソベリルという親友を奪われた過去を持ち、地上では毎日毎日、何百年、ひょっとすると何千年間も月人への復讐心に燃えていました。
しかし、月に移住した後、彼は月人に対する憎しみを捨て、平和に幸せに暮らすようになりました。宝石の国第11巻104ページにおいて、彼はボルツへの劣等感を露わにするダイヤに対し「バカね。過去に目を瞑る方が楽よ」と述べた上で、月での生活に対し「今の生活が好きよ」と発言しています。

一方、主人公のフォスフォフィライト(通称:フォス)は、パパラチアやイエローダイヤモンドとおこなった夜襲後、一人で地上に武器なしで降り立ち、話し合いを試みたものの、問答無用で地上の宝石たちに粉々にされ、200年も日の当たらない、暗い箱の中に閉じ込められるという、酷い仕打ちを受けたことをきっかけに、地上の宝石たちを、狂気を感じる程の強さで、憎むようになりました。
アレキは200年前、つまり宝石の国第10巻63ページにおいて「地上での戦闘を手伝う」ことを約束した通り、200年後に目覚めたフォスの復讐を手伝うことになりますが、彼はフォスに対して「あんたの気が済んだらみんなを元に戻すのよ」と助言しています。
ここまでが今回の解説の前提です。

これらを踏まえた上で、アレキの言動に対して以下のような疑問が湧きます。
それは、
疑問①アレキはなぜフォスの憎しみに対して共感したのか?
疑問②アレキはなぜフォスの復讐に協力したのか?
疑問③アレキはなぜフォスに対して「しつこいようだけど、あんたの気が済んだらみんなを元に戻すのよ」と何度も助言したのか?ということです。
今回の疑問点を考える際、仏教的観点からはいったいどのようなことが言えるのか、順番に見ていきましょう。

① アレキがフォスの憎しみに対して共感した理由

アレキがフォスの憎しみに共感した理由を仏教的観点から探るには、まず「共感」という行為がどのような精神状態に基づいているかを理解する必要があります。共感は、他者の感情や経験を理解し、それに対して内面的な共鳴を覚えることです。この「共感」という心の動きは、仏教における「慈悲」の概念と深く関連しています。慈悲は、他者の苦しみに心を寄せ、その苦しみを軽減したいという願いから生じます。

アレキがフォスの憎しみに共感する理由は、彼がかつて大切な存在だったクリソベリルを奪った月人に深い憎しみを抱き、その復讐心を毎日燃やしていた自身の経験にあると考えられます。月に移住した後、これまでの憎しみが嘘だったかのようにアレキは料理人として月人社会に溶け込むことが出来ました。「月人が全て悪いわけじゃないと知って憎めなくなった」と彼が発言したように、アレキは自身の無明を乗り超え、他者、ここではかつて敵であった月人の苦しみや状況を深く理解することで、より慈悲深い視点を得たからだと思われます。仏教では、苦悩(デュッカ)の原因として「無明」(物事を知らないこと、誤解すること)を挙げており、月に来る前の復讐心に燃えていたアレキはまさにこの苦悩の原因である無明を抱いていたと言えるでしょう。
アレキは自身の「無明」状態だった過去を通じてフォスの復讐心に基づく苦しみを深く理解しており、その感情を自分のものとして感じ取ることができたのではないでしょうか。これは、アレキの内面にある慈悲の心がフォスの感情に呼応し、共感を生じさせた結果ではないかと言えるでしょう。

仏教の「縁起」という教えに基づいても、同じ結果が得られると言えます。「縁起」とは、全ての出来事が相互に関連し合って存在するという考え方です。アレキがフォスの怒りに共感するのは、彼の過去の体験がフォスの感情と強い関連を持っていることが理由です。アレキが復讐に燃えるフォスに協力する描写は、自分の経験からフォスの感情を深く理解し、それに対する共感を示すことによって、彼の苦悩を和らげようとする、仏教的な意味での「慈悲」に満ちたアレキの「復讐の火を燃やすことへの共感の心」を表現しているのではないでしょうか。

② アレキがフォスの復讐に協力した理由
アレキがフォスの復讐に協力する理由を仏教的観点から考えると、これもまた「慈悲」と「縁起」の教えに根差していると考えられます。アレキはフォスの苦しみと憎しみを深く理解しており、その感情が彼自身の過去の経験と縁を結んでいると感じました。そのため、彼はフォスの行動を助けることにより、フォスの内面的な変化を促し、苦しみからの解放を目指しています。

この協力行為は、単に復讐の実行を手伝うことではなく、フォスが自身の感情と向き合い、それを超えて成長する機会を提供するものです。仏教においては、個人の苦悩は無明に基づいており、その苦しみを克服するためには内面的な洞察と理解が必要です。アレキの協力は、フォスが自身の感情の根源に向き合い、それを乗り越える過程を支援するものと言えます。

加えて、アレキ自身が復讐の感情から解放され、内面の平穏を得た経験があるため、彼はフォスにも同じ道を歩んでほしいと願っている可能性があります。この点から、彼の行動は単なる共感を超え、慈悲深い理解に基づく行為と言えるでしょう。

③ アレキがフォスに対して「しつこいようだけど、あんたの気が済んだらみんなを元に戻すのよ」と何度も助言した理由
アレキの「しつこいようだけど、あんたの気が済んだらみんなを元に戻すのよ」との発言は、アレキがフォスに対し繰り返し同じことを忠告したことを物語っています。
このようにアレキがフォスに助言をした理由は、仏教の「無常」(アニッチャ)と「慈悲」(カルナー)の教えに深く関わっていると考えられます。
無常とは、すべてのものが常に変化し続けるという法則を指し、この世界において恒常的なものは何もないという教えです。アレキは、かつて月人に激しい復讐心を抱いていた自身がまさにそうであったように、フォスの憎しみもまた変化し、いずれ消え去るものであると理解しているのではないでしょうか。
月に渡り、視点が180度変化した月での生活を経たアレキのこの助言は、フォスが自分の感情と向き合い、それを乗り越える過程を通じて内面的な平穏を得ることを願っている発言なのではないでしょうか。かつて自分が復讐心を乗り越え、平穏で幸せな生活を手に入れたように。彼は、復讐に基づく行為が最終的には消え去り、相手方との和解や再生が可能であることをフォスに理解させようとしているのではないでしょうか。

これは、憎しみや苦しみを永続的なものと見なさず、それらが変化し得るという、仏教の「無常」の理解をフォスに促すものです。

また、アレキがフォスに対して再生と和解の可能性を示唆することは、慈悲の心からの行為でもあります。彼はフォスが苦しみから解放され、皆と和解し、最終的には内面の平和を得ることを願っているからこその発言である可能性が考えられます。このフォスに対するアレキの助言は、フォスの復讐心に対する深い理解と共感、そして彼の苦しみを和らげたいという慈悲の心を反映していると言えるでしょう。

以上の三点において、アレキの行動と言葉は、仏教の教えに深く根ざしており、フォスの内面的な変化と成長を促すためのものと言えます。彼の慈悲深い理解と無常への洞察は、苦しみを乗り越え、内面の平穏を得るための智慧を示しています。

以上が、私が「宝石の国」について仏教的観点から考えた内容です。この作品は仏教的観点だけでなく多様な観点から読み解くことができる魅力的な作品だと思います。また、例え同じシーンを見ても、読み手によって受け取り方が異なるため、私が考えた以外の考え・解釈も非常にたくさんあると思います。
皆さんもぜひ自分自身でこの作品を読み、宝石たちが抱える問題や苦しみについて、自分なりの考えや解釈をコメント欄に書いてみてください。
それでは、今日はこの辺で失礼します。

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